外務省、JICAのODA事業仕分けで終わってはならない! 財務省の国際金融のマルチが残っている

聖域ではないODA
民主党政権は、ODA関係の事業仕分けに際して「ODAも聖域ではない」と言って切り込んできた。ところが、減少一方のODAは財政的にはすでに聖域ではなくなっているんです。たしかに1970年代から90年代までの聖域時代は、国内予算の伸び率に関係なく、特別扱いでODA予算は増えました。だから、予算を要求する国内各省から見ると、一種の聖域に映ったわけです。そこで、国内各省はわれ先にと、はじめは経済協力室を設置してスタートしても、次は経済協力課に昇格させたりして、聖域になっているODA予算の配分にありつきました。

その大義名分は国益に資するというものでしたが、実際は省益レベルのものでした。これは、JICAの技術協力と対比されるもので、JICAは途上国の要請にもとづいて協力することになっていますが、多くの国内各官庁の協力は要請ではなく日本の国益にもとづくものであるという理屈を立てています。

今やマルチが聖域
今回、民主党政権が外務省やJICAの事業仕分けに踏み込んだのは、国内官庁のODA予算に比べ、資金規模が違うからです。全ODA予算の90%以上を掌握しているのが外務省と財務省です。残り10%足らずを、残り各省が分け合っています。予算的には確かに2省集中という形で聖域化しているのです。
ところが、納税者にとってよくわからないのが、財務省が所管する世界銀行グループ(第二世銀を含む)、アジア開発銀行、米州開発銀行などの国際開発金融部門への出資、拠出(無償)などの実態です。これまでの出資状況、税金からの拠出金状況などは累計でみると、日本の海外資産の一部であり、国民の財産でもあります。今回の事業仕分けが財務省主計局にお世話になったからといっても、財務省所管の国際金融機関への資金の流れを洗わないと、フェアな事業仕分けと言えないのではないでしょうか。

フェアな事業仕分けを
ODA事業をフェアに行うために公開入札の徹底化を推進している民主党政権にとって、アンフェアなイメージを与えることは政権のイメージを歪めることになりかねません。さらに、先に述べたODA聖域時代に雨後の竹の子のように増設された国内官庁の国際協力関係ポストの整理も、税金の使われ方を問い質すという事業仕分けの役割に入ると思うんですけどね…。