『国際開発ジャーナル』誌とは

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国際開発ジャーナル』誌とは

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本誌は、1967年に創刊されて以来、50年にわたって日本で国際開発に関する国内外の動きを報道してきた、日本で唯一の国際協力専門誌です。貧困問題や紛争、環境破壊など、地球規模のさまざまな課題について、独自の視点で分析・解説・提言を行い、国際開発を中心にこの分野のオピニオンリーダーとして新しい地平を切り開いてきました。

その範囲は、日本の政府開発援助(ODA)の理念や政策、制度、実施状況のみならず、NGOやNPO、地方自治体、大学、民間企業など幅広い国内のアクターに加え、国際機関・国際金融機関などのマルチドナーやDAC(開発援助委員会)加盟国、新興国などのバイドナー、国際NGOや民間財団なども広くカバーしています。

外務省をはじめ、国際協力機構(JICA)や国連諸機関をはじめとする援助実施機関スタッフ、途上国ビジネスに関わる開発コンサルタントや大手商社、メーカー、ゼネコン社員のほか、大学、NGO、自治体、教員、研究者、国際協力を学ぶ学生などに広く読まれています。

【発行概要】

創刊:1967年11月
発行日:毎月1日
体裁:A4変型 84頁
定価:1冊1,050円(税込)、年間購読12,000円、学割8,000円 学割さらに値引きで5000円に改定

デジタル版も販売しています。
 

本誌の特色

「現場主義」と「政策提言」

本誌の特徴は、徹底した「現場主義」にあります。開発途上国の現場、政策立案・実施の現場に立脚した誌面づくりを行っています。また、こうしたさまざまな援助の現場からの声を日本の援助政策にフィードバックすべく、これまでオピニオンリーダーとして数々の政策を提言。その結果、「官民連携」や「国際協力への市民参加」といった近年の大きな政策潮流の形成に少なからず貢献してきました。

編集方針

ODAの政策から実施までの情報や国際機関の政策動向、開発コンサルタントの戦略や受注動向などを分析・発信すると同時に、近年の途上国開発における民間資金の拡大傾向を踏まえ、開発業界のみならず、商社やメーカー、海外展開を図る中小企業などの民間セクターの途上国開発や投資事業、あるいは官民連携プロジェクトの動向た大学の取り組みについても積極的に取り上げていきます。

また、途上国政府の開発計画に加え、新興国、中進国、資源国、あるいはアジアインフラ投資銀行(AIIB)やBRICS銀行といった時事的な動きについても追跡し、「開発」の文脈から広く世界の潮流や動向を読み解くことで読者の関心に応えるとともに、この分野の「開発論調を創る」ことを目指します。

編集体制

発行人   末森 満
編集主幹  荒木 光弥
編集長   玉懸 光枝

論説委員

大野 泉 氏 (政策研究大学院大学 教授)
木村 亮 氏 (京都大学大学院 工学研究科 教授)
木村 福成 氏(慶應義塾大学 経済学部 教授)
角南 篤 氏 (政策研究大学院大学 教授)
平野 克己 氏(アジア経済研究所 地域研究センター 上席主任調査研究員)
橋本 強司 氏((株)レックス・インターナショナル 代表取締役)
長山 勝英 氏((株)アルメックVPI 代表取締役)

『国際開発ジャーナル』の歴史

[1] 創刊:1967年11月20日
「タブロイド新聞」(月刊)、1967年11月~1971年10月(4年)
[2] 「雑誌」(旬刊)、1971年10月~1974年2月(2年5カ月)
[3] 「雑誌」(月2回)、1974年2月~1976年6月(2年5カ月)
[4] 「雑誌」(月刊)、1976年7月~現在まで(2015年で約39年)

国際開発ジャーナルは、創刊の1967年から今日(2015年)までの48年間で、タブロイド新聞、雑誌(旬刊、月2回、そして月刊)へと大きく変貌しています。年々、号を重ねるたびに編集内容は洗練され、刷新されてきました。

振り返ってみると、創刊から1970年代は本誌のイメージが定着せず、一種の“漂流する時代”でした。その後、1967年から1980年までの13年間は、アジア経済研究所動向分析部の協力を得て、特にアジア地域の政治、経済、社会に焦点を当てた地域情報分析記事、いわばカントリー・スタディーを発信することを通じて開発問題と日本の経済協力(ODA)について報道しました。

1980年代からは、本格的に開発途上国の経済・社会開発に重点を置いたODAに編集の力点を置くようになりました。具体的には、日本政府のODA政策を中心に、アジアにおける開発問題などを扱ってきました。

1990年代以降も一貫して国際協力分野の専門誌としてのスタンスを堅持してきたことから、本誌は、一層、大きな評判を得るようになりました。それにともない、編集主幹は政府や民間の各団体の理事を務めたり、ODA委員会のメンバーなどとしても出番が多くなりました。

 
編集主幹・荒木光弥が執筆した注目される記事

【1】1974年10月25日:「フィリピン開発特集」

アジア開発銀行(ADB)の応援で、ADB融資地域であるミンダナオの取材を年1回、恒例的に実施し、ADB月報(日本語版)も発行して配布しました。

 

【2】1975年4月25日:ぺルーの「リマ現地報告」

UNIDO(国連工業開発機関)の第2回総会のプレスツアーに参加して、工業開発をめぐる南北対立を取材しました。その時のタイトルは、To Dialogue from Confrontation

 

【3】1977年12月号:現地取材特集「韓国」

自民党の福田赳夫氏の紹介で、福田氏の参謀の一人でもある田中宏氏(元読売新聞経済部長)と共にソウルに入りました。大統領府は当時、好転する韓国経済を見てもらおうと外国車を配車し、ソウルから慶州、そして釜山へと、非常時には飛行場にもなる半島縦断ハイウェイを往復しました。

この時のことで特筆すべきことは、大統領府の強力な紹介で、次々と10大商社(財閥)のトップとインタビューできたことです。朴大統領は日本の10大商社にならって、韓国の10大商社をつくり、韓国経済の担い手にしようと考えていました。

 

【4】1980年5月:現地取材「どこへ行く新中国」

中国文化大革命が終息して間もない、暗い北京に乗り込みました。何しろ、わが恩師・大来外務大臣から谷牧副総理に向けた紹介状を携えての中国初訪問だったので、日本大使館、中国政府の大歓迎を受けました。人民大会堂での谷牧副総理とのインタビューはテレビ撮影も入り、実に晴れやかなものでした。記者冥利につきる思いでとなりました。

現地取材では、北京―秦皇島間の電化、複々線化のための第1号案件となる円借款協力の記事を書くために、通訳(日本首脳部担当)と一緒に汽車に乗り込みました。途中、地震で町ごと大崩壊した東山炭鉱跡を駅頭から見ながら、秦皇島へ向かいました。ここでも港湾開発が円借款の対象となっていました。

 

【5】1982年9月号:現地取材特集「注目すべき国マレーシアの東方政策(Look East Policy)」

マハティール首相の「日本に学べ」の東方政策を取材すると同時に、日本の建設業界のマレーシア進出を特集するために現地取材をしました。スポンサーは海外建設業協会。

 

【6】1984年8-9号:JICA設立10周年記念特集「新たな転機に立つ国際協力」Part3「霞が関は燃えた」

JICA設立のドラマとして関係した政治家、官僚、民間人を登場させながら、舞台裏まで書き込みました。

 

【7】1987年3月号:現地取材「わが国のセラード農業開発協力」

外務省派遣の形をとってブラジル・サンパウロへ向かいました。サンパウロから首都ブラジリアへ飛び、そこから現地セラード地域に一泊しながら向かいました。酸性土壌をアルカリ化した土壌改良事業は日本の協力で進められました。入植地の日本人農家を訪ねてセラード農業を教えてもらいました。日本では考えられない大陸型農業でした。

新首都ブラジリアでは、外務省国際局でブラジルの対外援助方針と実績を教えてもらいました。

 

【8】1995年2月号:現地取材特集「フィリピン・バタンガス港開発」

新しい港湾開発に対する反対運動が落ち着いた頃の現地取材でした。立ち退き補償金をめぐっての対立は、補償対象の住民数がだんだんと増えていくという悩みがありました。補償金目当ての外部(ミンダナオなど)からの新規参入で補償費が増えていきました。

 

【9】2003年10月号:現地取材「注目すべき国ミャンマー」

ヤンゴンからマンダレーに飛んで、マンダレー陸路でシャン州コーカン地区までの380キロを走りました。JICAの麻薬撲滅のための農業協力、特にソバ栽培協力を取材することが目的でした。少数民族の貧困からの脱出が国民統合へ向けてのミャンマー最大の政治課題でしたが、今も政府軍との小競り合いが絶えません。

コーカン地区では、麻薬をめぐる政府軍とコーカン軍との小競り合いが今も紛糾しています。ミャンマーにとって隣国中国が国境を接しているだけに、常に安全を脅かす存在になっていると言っても過言ではありません。

 

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