国際開発ジャーナル社 International Development Journal

あなたと世界をつなぐ国際協力Station 国際協調、途上国の貧困救済援助・国造り・人造り援助などの考え方を普及します

〒113-0034 東京都文京区湯島2-2-6 フジヤミウラビル8F 電話番号:03-5615-9670 FAX番号:03-5615-9671

2016.10.20

【大学イベント情報】東洋大学国際共生社会研究センターより

平成28年度 国際シンポジウム
アフリカにおける開発と環境 ―技術と社会の連携を目指した人材育成―

SDGsの解決課題が多いアフリカの開発と環境に関し、技術と社会をどう連携させて人材育成を行うかについて議論します。
日時:2016年11月11日(金)13:00開演予定(12:30開場)
会場:東洋大学 白山キャンパス 井上円了ホール
〒112-8606 東京都文京区白山5-28-20
共催:東洋大学学術研究推進センター、東洋大学大学院国際地域学研究科
後援:独立行政法人国際協力機構、アフリカ開発銀行アジア代表事務所
☆入場無料
☆日英同時通訳

詳細は大学HPをご覧ください。

2013.07.01

『UGANDA通信-北部復興支援の現場から-』関連セミナー開催[2013.07.01]

『UGANDA通信-北部復興支援の現場から-』関連セミナー開催!

名称:『UGANDA通信-北部復興支援の現場から-』-アフリカにおける平和構築とは
日時:2013年7月23日(火曜日)19時から21時
会場:JICA市ヶ谷ビル 6階 セミナールーム600【会場地図】
主催:JICA研究所、JICA地球ひろば

 アフリカ東部に位置するウガンダ共和国は、他のアフリカ諸国同様に、近年、都市部には車があふれ、経済成長著しい一方で、全国レベルでの貧困削減が課題となっており、特に北部のアチョリ地域は、過去20年以上にわたる反政府勢力との紛争の結果、住民の9割以上が国内避難民(IDP)としてキャンプでの生活を余儀なくされることとなり、基礎インフラ及び社会サービスを含む開発全体が南部と比べて大きく立ち後れてしまいました。

JICAはウガンダに対し、経済成長を通じた貧困削減と地域格差是正を柱に支援を行っており、北部地域においては、武装勢力がウガンダ国内から撤退していき、国内避難民(IDP)が2008年頃からキャンプから村に帰還し始めたのを受け、これらのIDPが帰還先の村で生活できるようになり、元児童兵や障害者等も帰還先のコミュニティで取り残されないようにしていくための平和構築への協力を、2009年から力を入れて実施している状況です。北部復興支援の様子や関係者の奮闘ぶりは、月刊誌『国際開発ジャーナル』で紹介されてきましたが、このたび、2年半にわたる連載を全話収録した『UGANDA通信-北部復興支援の現場から-』が、国際開発ジャーナル社から発行されました。そこで出版を記念し、ウガンダ北部の歴史や現状、同地域でのJICAの取り組みを2回シリーズで紹介するセミナーの第2弾です。

第1回は、映画「ウォー・ダンス」を題材にしたウガンダ国の概要説明でしたが、2回目となる今回は、『UGANDA通信』の執筆者やJICAのウガンダ北部復興支援に関わった方々をお招きし、ウガンダ北部の状況とJICAの復興支援への取り組みの様子、さらに周辺国も含めたアフリカ諸国を平和構築というキーワードで考えます。

まずセミナー前半では、『UGANDA通信』の舞台であるウガンダ北部地域にJICAが協力を開始するに至った経緯、当時の同地域の状況、協力内容、本協力の意義、そして現在の協力状況、現地の状況などをお話しいただきます。

後半は、ウガンダのみならずアフリカ諸国の現状や支援の現場を数多く知るパネリストが、アフリカにおける平和構築を切り口に参加者の皆さまの質問に答えながらパネルディスカッションを行います。

講師・パネリスト:
片山 祐美子氏(株式会社NTCインターナショナル 主任技師)
【略歴】京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修士号取得退学。現在は、主にコンゴ民主共和国やウガンダ北部の平和構築に係るJICAプロジェクトにおいて、紛争予防に配慮するための社会調査等のコンサルティング業務に従事。

中坪 央暁氏(国際開発ジャーナル編集委員)
【略歴】同志社大学(文化史学専攻)卒業。1987年毎日新聞社入社、大阪・東京両本社編集センター、外信部、ジャカルタ特派員、編集デスクなどを経て現職。インドネシア、東ティモール、アフガニスタン、パキスタン、ウガンダ、南スーダンなどの紛争地および平和構築支援の取材を重ねる。

畝 伊智朗(JICA理事長室長)
【略歴】筑波大学(教育学専攻)卒業。1981年JICA入団。外務省および会計検査院出向。在コートジボワール日本大使館、JICAケニア事務所、経済協力開発機構(OECD)開発援助委員会(DAC)事務局、JICA経済基盤開発部審議役、アフリカ部部長を経て現職。

小向 絵理(JICA国際協力専門員<平和構築>)
【略歴】NGO勤務を経て、スウェーデン・ウプサラ大学大学院平和紛争研究科修士課程修了。1998年からJICAの平和構築分野に関する業務(ルワンダ・カンボジア・ウガンダ、ミャンマー、ブルンジ、コロンビア、スリランカなど)に携わり、2005年ルワンダにJICA専門家として派遣。2008年より現職。

島田 具子(JICA経済基盤開発部 平和構築・都市・地域開発第一課)
【略歴】2002年JICA入団。2006年からJICAルワンダ事務所企画調査員として、平和構築や教育分野事業を担当。その後、イギリス・ヨーク大学戦後復興学コース修士課程修了。2010年から現職にて、JICAの平和構築方針や支援戦略を担当するとともに、ウガンダ、ブルンジ、ミャンマー、コートジボワール等の平和構築事業に従事。

モデレーター:室谷 龍太郎(JICA研究所 研究員)

※セミナー会場で『UGANDA通信-北部復興支援の現場から-』(国際開発ジャーナル社)の販売もいたします。

対象:ご興味のある方はどなたでも

定員:90名(先着順)

参加費:無料

参加方法:下記問合せ先まで、電話またはEメールにてお名前、ご連絡先をお知らせのうえ、お申込みいただくか、または下記の「お申込み」ボタンからお申込ください。

お問い合わせ:
JICA地球ひろば 地球案内デスク
電話番号: 0120-767278
Eメール: chikyuhiroba@jica.go.jp

2011.11.11

【IDJ読者セミナー 第2回】地域展望 中東とアフリカ支援の今後を読む 開催のお知らせ[2011.11.10]

【IDJ読者セミナー 第2回】地域展望 中東とアフリカ支援の今後を読む

チュニジアで火がついた民主化のうねりは、その後、エジプト、リビア、シリアなどへと拡大しました。揺れ動く中東情勢を踏まえ、日本の支援はどう展開していくのか。また、TICAD Ⅴ(第5回アフリカ開発会議)の開催を控える中、一部では予算の削減措置も囁かれるアフリカ支援はどう変わっていくのか。今回は中東とアフリカをフォーカスし、JICAの担当部長にそれぞれ重点解説をしていただきます。両地域における今後の事業戦略の構築に必須のセミナーとなります。奮ってご参加ください。

14:00~15:15  「揺れ動く中東情勢と円借款の実施方向」
国際協力機構(JICA)中東・欧州部長 山田順一 氏

15:15~15:30  質疑応答/フロアとの意見交換

15:30~15:35  コーヒーブレイク

15:35~16:45  「どうなる今後のアフリカ支援 ~TICAD Ⅴを前にして」
国際協力機構(JICA)アフリカ部長 畝 伊智朗 氏

16:45~17:00  質疑応答/フロアとの意見交換

開催日:2011年12月7日(水) 14:00~17:00
会場:都道府県会館401会議室
(東京都千代田区平河町2-6-3 TEL:03-5212-9162(管理部))

参加費:5,000円(税込・資料代含む)
※弊社サポーター制度に加入されている方は無料

定員:約80名

申込締切:2011年12月2日(金)

申込方法:下記申込書にご記入の上、FAXもしくはメールでお申し込みください。

(株)国際開発ジャーナル社
FAX:03-3582-5745  E-mail:seminar@idj.co.jp
振込先:【口座名義】㈱国際開発ジャーナル社
【振込口座】三井住友銀行 丸ノ内支店 当座預金 220240
みずほ銀行  丸之内支店 普通預金 1230388

問合せ先:TEL:03-3584-2191

担当:和泉・中村

申込書 (記入事項) ≪FAX:03-3582-5745≫

社名:
E-mail:
〒:
住所:
TEL:
FAX:
参加者氏名:
所属部署・役職名:
請求書の要不要:
連絡担当者(部署・氏名):

※上記にご記入いただきました情報は、本セミナーを受講していただくために必要な連絡等に使用すると同時に、参加者名簿(記録用・講師当日用)作成、および弊社からの各種情報提供に使わせていただきます。

2011.04.13

Vol.8 感謝の気持ちを伝えたい~エジプトから「頑張れ!ニッポン」

感謝の気持ちを伝えたい~エジプトから「頑張れ!ニッポン」

2011年3月11日、東日本を中心とする震災が我が国を襲いました。“頑張れニッポン!”エジプトで「南南協力」に携わっていた松見靖子さんが、エジプトからの「エール」を伝えてくれました。

日本とエtahrir.jpgジプトの試練
2011年2月11日、エジプトは3週間に及んだ民主化運動の末、平和的な手段による長期独裁政権打倒に成功しました。革命の中心となったタハリール広場(自由の広場)を掃除する若者たちの姿は、世界中に大きな感動を与えたことだと思います。その歴史的瞬間に立ち会うことができた興奮も冷めぬ中、一ヶ月後には日本が未曽有の大災害に襲われてしまいました。
タハリール広場では、今でも金曜日ごとに集会やデモが続いています。長く独裁政治しか知らなかった人たちが、新たな国家建設に挑むということは、大変、困難な、長い道のりになるでしょう。そんなタハリールの群衆の中に、ひとり、日本の国旗を掲げる若者がいました。
「日本もエジプトも、今、大きな試練の時に立たされているんだ。だから一緒に頑張ろうという気持ちを伝えたかった。」

 

3月末、私は3年間住んだエジプトを離れました。エジプトでは「南南協力」と呼ばれる事業 -日本とエジプトが協力して他の開発途上国の人材育成を支援する「第三国研修」を担当していました。その事業のパートナーとして、一人の熱心なエジプト人教育者に出会いました。
現在、国立ファイユーム大学の学長として活躍するアハマド・エル=ゴハリ博士は、かつて日本で研修を受けた経験があります。その時、世界トップレベルの技術を持っているにもかかわらず、傲ることなく謙虚で勤勉な日本人の姿勢に大変感銘を受けたそうです。以来、日本の良き理解者として、エジプトだけではなく、広くアフリカや中東諸国の若い研究者の育成のため、第三国研修を通じて日本とともに国際協力事業を支援してきました。
今、エジプトも苦しい中で、長年にわたって支援を続けてくれた日本人の友情と恩に少しでも報いることはできないだろうか・・・。 ゴハリ学長をはじめとして、日本で学び、日本人をよく知っている人々が、遠いエジプトからメッセージを贈ってくれました。

エジプトからのメッセージ

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スエズ運河大学、およびファイユーム大学の学生、私の家族、そして私自身のために、今、何か日本の人々ためにできることはないか、ずっと考え続けています。日本が大きな危機に直面しているときに、私たちにできることはわずかです。私が初めて日本を訪れて以来20年にわたって、日本の人々が示してくれた温かい友情と寛大な支援の恩に報いることはできません。私たちは、言葉に尽くせないほど、日本という国を尊敬し、感謝をしています。エジプト人だけではありません。日本から遠いアラブの国々で、たくさんの人々が日本のために祈っています。

アハマド・エル=ゴハリ博士 ファイユーム大学学長

*****

mohamed-tawfic-photo.jpg日本を襲った恐ろしい大地震のニュースに、誰もがショックを受け、心を痛めました。しかし、日本は必ず、もっと強くなって立ち直ると信じています。困難に出会うたびに、日本がそれに打ち勝ち、見事に復興してきたことは、歴史の事実です。この未曽有の悲劇でさえ、日本人の勇気と決意を、世界に示す「日本神話」として、後世に語り継がれていく日がくるでしょう。その日まで、世界中の何千何百万人もの人々が、日本がこれまで世界のために貢献してきたことへの感謝の気持ちを忘れずに、日本という特別な国のために祈っています。困難の時にも自制心と道徳を忘れない日本人の美徳は、人間社会のあるべき姿のひとつの範であり、世界はそんな日本を必要としているのです。

ムハマド・タウィーク・アハマド博士 スエズ運河大学医学部教授

*****

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私たち家族は、日本に5年間住んでいました。たくさんの友人にも恵まれ、日本での思い出は、私たちの心の財産になっています。日本は私たちの第二の故郷で、日本人は第二の家族ともいえます。日本人は礼儀正しく、勤勉で忍耐強い国民です。今日の日本の発展は、そんな日本人の一人ひとりに支えられているのだと思います。私は、強い使命感を持った日本の人々が、この危機を乗り越え、より一層強くなって復興することを信じています。
日本を襲った大災害のニュースを聞いたとき、私の幼い娘は日本の友だちのことを心配して泣きじゃくりました。私たち家族全員、日本の人々には、どんなに感謝してもしつくせません。一日も早く、この危機を乗り越え、再び「日出づる国」にふさわしい勇姿を見せてくれることを祈っています。

オマル・ファティヒ・デスーキ博士 スエズ運河大学 医学部助教

*****

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第二次世界大戦と原爆投下の悲劇の後、あっという間に復興し、世界の頂点に立って私たちを驚かせた「日本の奇跡」は、私にとっては大きな謎でした。しかし、初めて日本を訪れ、実際に日本の人々と接したことで、すぐにその理由が分かりました。日本人は、とても忍耐強く、賢明で、頼りになる人々です。日本の成功の秘密は、そんな日本人一人ひとりにあります。それはどんな破壊行為よりも、強靭なのです。私たちが、今、日本のためにできることは無に等しいかもしれません。それでも、これまでに日本が私たちに手をさしのべてくれた恩に少しでも報いたいと思っています。
ムハマド・マンスール・アッバス・イード医師 熊本大学大学院医学教育部

*****

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スエズ運河大学で血液学の助教をしているアブダラ・ハシーシュです。今年1月から3月23日まで、文部科学省の学術交流事業で、熊本大学の医学部で研修を受けていました。わずか3ヵ月の滞在でしたが、日本でたくさんの友人にも恵まれ、忘れられない思い出ができました。
震災が日本を襲ったとき、私は熊本にいて、毎日ニュースを見ていました。エジプトに帰って友人から日本のことを聞かれたとき、私は「日本人を信じている」と答えました。「日本がこの災害を乗り越えることを、100%確信している」と。
どうか、この危機を一日も早く乗り越えて、日本の強さを私のエジプトの友人達、そして世界に証明してくれることを願っています。

アブドラ・ハシーシュ医師 スエズ運河大学医学部助教

2010.06.30

【公開セミナーのお知らせ】中国の対アフリカ援助を考える[2010.6.28]

☆【公開セミナーのお知らせ】
中国の対アフリカ援助を考える
~“The Dragon’s Gift” 著者デボラ・ブローティガム教授を迎えて~

近年、中国の対外援助、とりわけアフリカ諸国への巨額の援助について、国際社会から高い関心が寄せられています。そうした中、この研究に80年代から取り組んでいるアメリカン大学のデボラ・ブローティガム教授 (Dr. Deborah Brautigham)による近著 『龍の贈り物~アフリカにおける中国の真実』(The Dragon’s Gift: The Real Story of China in Africa, 2009)が、大きな話題を集めています。
ブローティガム教授は、本書で、南ア、ナイジェリア、タンザニア、ザンビア、モーリシャス、シエラレオネ等における中国の援助の実態を、関係者へのインタビューや企業訪問などを通じ丹念に調査し、これら現場から得た情報や統計データの分析を基に、アフリカ諸国からの声も交えながら、先進国ドナーが抱く多くの懸念に対して新たな見方を提示しています。
このたびJICAでは、ブローティガム教授をお招きし、有識者の方々も交え、中国の対アフリカ援助に関する公開セミナーを開催することと致しました。
中国の対外援助や、これからの日本の国際協力のあり方に関心をお持ちの多くの皆様のご参加をお待ちしております。

■ 日時 2010年7月16日(金) 14:00 ? 16:00 (13:30開場)
■ 会場 JICA研究所 国際会議場(東京都新宿区市谷本村町10-5)
  (最寄り駅 JR中央線・総武線「市ヶ谷」 徒歩10分)
  (都営地下鉄新宿線「市ヶ谷」A1番出口 徒歩10分)
東京メトロ有楽町線・南北線「市ヶ谷」6番出口 徒歩10分
■ 主催 独立行政法人 国際協力機構 (JICA)、後援 株式会社 国際開発ジャーナル社
■ 定員 150名
■ プログラム(調整中につき変更の可能性があります)
基調講演   デボラ・ブローティガム(アメリカン大学国際関係学部教授)
司会 北野 尚宏 (国際協力機構東・中央アジア部長)
パネル討論
 荒木 光弥 ((株)国際開発ジャーナル社代表取締役/主幹)
 平野 克己 (日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター長)
 小寺 清 (国際協力機構理事)             <敬称略>
■ 日英同時通訳付き
■ 参加申し込み
必要事項を明記のうえ、下記宛てにEメールにてお申し込み下さい(件名を「公開セミナー申込み」としてください)。なお、定員に達し次第、受付を終了させていただきます。
 <明記事項>①お名前②ご所属③役職④ご連絡先(Eメールアドレス、電話番号)
 <お申し込み先>         
国際協力機構(JICA) 企画部支援ユニット(担当 佐々木)
Eメール:Sasaki-Hideyuki@jica.go.jp  FAX:03-5226-6373
■講師略歴
デボラ・ブローティガム Dr. Deborah Brautigham
 (アメリカン大学国際関係学部教授)

【専門分野】
中国アフリカ関係、国際開発、産業政策、国家建設
【著書等】 
“The Dragon’s Gift” の他、国際援助とガバナンス、租税と国家建設、グローバル・ネットワーク、アフリカ・アジアの開発比較等に関する著書、論文多数。自身のブログ(chinaafricarealstory.com)において中国・アフリカ関係に関する情報を発信し続けている。
【学歴】
タフツ大学フレッチャー法律外交大学院博士号(PhD)取得
【経歴】
コロンビア大学准教授を経て、アメリカン大学にて国際開発プログラムで教鞭をとり、「開発政策」、「ガバナンスと民主主義」のアドバイザーを務める。タイ、モーリシャス、シエラレオネ、ノルウェーの大学で客員研究員としても勤務。国連、世界銀行のコンサルタントも勤め、USAIDではカンボジア、スリランカ、エジプト、多数のアフリカ諸国で活動。

主催:独立行政法人 国際協力機構
後援:株式会社 国際開発ジャーナル社

2009.05.19

Vol.5 モザンビークで見た笑顔とラテン的オプティミズム

モザンビークの日本大使館に勤務していた中澤香世さんが、
現地での仕事、生活、経験などをレポート!

なぜモザンビークにかかわることになったのか
モザンビークはアフリカ大陸の南部アフリカに位置し、ポルトガルを宗主国とする旧ポルトガル植民地である。「なぜモザンビークなの?」と思われるかもしれないが、それは私の個人的バックグラウンドに関係している。上智大学では、ポルトガル語圏地域研究とポルトガル語を勉強し、英国ケント大学カンタベリー校へ留学した時には、南アフリカ・モザンビークの政治経済について研究していたこともあり、将来、漠然とではあるが、モザンビークで仕事をしたいと思っていた。人はイメージや希望を胸に抱くとそれが形となって実現するというが、私の場合には、まさにそれが現実となった。

モザンビークの公用語はポルトガル語で、英語は首都以外、ほとんど使用されていない。幸いにも私は、上智大学在学時に大学交換留学制度にてブラジルに一年間留学した経験もあり、ポルトガル語は生活や仕事をする上で不自由はなかった。モザンビークは17年間、内戦を展開していたため、国内のインフラは2000年代の開発期の現在も壊滅状態の地域が多い。とくに北部と中部は、給水施設・電気回路が破壊された地域が多いのが現状だ。20年近い内戦による疲弊から、初等教育への就学率も低く(71% :2004年度)、また識字率も低い。

モザンビークに赴任
私がモザンビークに赴任したのは2003年の3月中旬だった。モザンビークに到着しマプト空港を出た瞬間、湿気とむせるような暑さを感じた。黄色いタクシーが付近に数台とまっており、客引きのお兄さんに囲まれた記憶がある。大使館からの迎えの車で市内を回った時の第一印象は、キューバに似ているということだった。大学院を卒業して最初の会社に勤務していた時にキューバを旅行したことがあり、その印象は、ラテン的な魅力にあふれながらも、どこか粗野で原始的であるというものだった。モザンビークの首都マプト市内の住宅街は、そんなキューバに似た雰囲気を漂わせていた。マプト市内の道路の陥没がひどく、一般市民は「モザンビーク政府は道路を修復するための資金がないからだ」と理由を説明していたことを、今でも鮮明に記憶している。

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ポラナホテル

当時、日本大使館はポラナホテル内にあり、正面玄関とプールを通過して地下の階段を降りてたどり着いたのが日本大使館だった。由緒あるホテルで、建物は古いながらも重厚な感じがした。大使館に到着するとローカルスタッフが何人かおり、部屋ごとに担当業務が区分されていた。部屋ごとに挨拶をして回った私を出迎えてくれたのは、20年近く継続した内戦の歴史を感じさせない底抜けに明るいモザンビーク人の笑顔だった。こうして私の2年間に及ぶ (2003年~2005年)モザンビーク生活はスタートした。

草の根無償資金協力事業を担当して
私が国際協力の世界に飛び込んだのは、「女性と子供のために働きたい」という強い思いがあったからだ。モザンビークの大半の地域では、女性や子供をとりまく環境は過酷で、それを目の当たりにした私は、初めて女性と子供を助ける仕事をしたいと感じた。私が大使館で担当することになった草の根無償資金協力事業とは、外務省の資金供与のもと、1案件1千万未満の小規模プロジェクト。草の根無償の醍醐味は、何といっても現地のNGOがプロジェクトを実際に実施することにより、草の根レベルのきめこまやかな支援ができるところにある。

モザンビークは20年近く継続した内戦のため、首都以外の中部や北部地域は、基礎インフラも壊滅状態である上に、撤去できていない地雷や回収できていない武器も多く存在し、その数は、正確にはわからないほどだ。大使館では、ポルトガル語と英語のプロポーザルの審査、プロジェクト施行までのスクリーニングプロセスの行程作業、そしてプロジェクトが無事に進行しているかどうかを視察するためのモニタリングなどに追われる日々であった。モザンビークは、一年の半分は真夏だが、湿度が高く、気温は30度~37度。しかし大西洋に面しているため海の風が強く、内陸国と比較するとさほど暑さを感じず、過ごしやすい国である。

旧ポルトガル植民地のモザンビークでは、「人生いかに楽しく過ごして生きるか」に優先順位が置かれているため、「労働」に対する意識は日本的な「労働」の概念とは異なる。モザンビークに限らず、ポルトガル語圏の国々では、「人は人生を楽しむために生きる」と考えられているため、生活における「労働」の優先順位は低い。つまり、全体の中の労働の位置が低いのである。実際の業務で苦労したことは、現地に登録しているローカルNGOとの交渉であった。時間の流れがゆったりとしているモザンビークでは、日本と比較するとすべての物事の流れがスローペース。そして、その時間の流れを変えることは難しい。重要なのは、その雰囲気の中でどう仕事をしていくかだ。半年も経過すると、次第に仕事面でも生活面でも現地に適応し、現地NGOとの交渉におけるコツも把握できるようになった。団体担当官の言葉をどう解釈し、フォローアップを行っていくかも思考錯誤しながら習得することができた。私生活では、自宅や友人宅でホームパーティを時折行い、楽しい時間を過ごした。このようにして、私の怒濤のモザンビーク生活はあっという間にすぎていった。

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自宅に同僚を招く

フィールドの楽しさ
モザンビークで草の根無償を担当して一番の収穫は、フィールドで得られた経験である。業務の一環として、プロジェクトの進行状況を視察するため、月一回の頻度で首都を離れ、プロジェクトの視察に出かけた。現場まで四輪駆動で走る道中、農村地帯の風景を見ることで一般の人々がどのような生活をしているかを把握することができた。

首都マプト以外の中部と北部の農村地帯では、人々は自給自足生活を営み、野菜や果物やカシューナッツなどの豆類の栽培や海洋漁業で生計を立てている。各農村には小さな屋台があり、マッチなどは販売しているので手に入る。しかし、果物ジュースや缶詰などは農村に住むモザンビークの人々には高価であり、もっぱら、購入するのは旅行者や現地在住の外国人だ。もっとも、マンゴやパパイヤは現地の畑で栽培していることから、生の果物を搾って飲んでいる人はよく見かけた。

伝統的な中部や北部の農村地帯では、水・電気などの基礎インフラがない地帯が多く、人々は村にある井戸を使って炊事洗濯をしている。サブサハラアフリカの多くの国で水は、水因性疾病の原因となっており、モザンビーク農村地帯でも、水に関する衛生問題は緊急的課題である。大半の村の井戸や近隣の川から運搬してきた水は、人間の汚物や生活用水で汚染されており、煮沸した井戸水を飲んでも、下痢やアメーバ赤痢になる子供や女性は多い。こうした給水事情から、モザンビークでは、改善された水源を継続して利用できる人口は全国民の43%未満に過ぎない。

私自身、フィールド調査では、4日間シャワートイレなしの生活を余儀なくされた経験もあるが、女性や子供、工事現場の人夫と話しをする機会などもあり、農村地帯の人々の生活を知ることができた。モザンビークの多くの地域では、人々が生活する住居は茅葺き家屋の簡素なものであり、農産物や海産物を栽培・採取する自給自足の生活をしている。絶対的貧困(モザンビークの人間開発指数は177位中168位:UNDP人間開発報告書出典)者が多いといわれる国だが、人々のパワーと底抜けの明るさに接することにより、人生について学ぶことは多かった。

モザンビーク農村地帯の女性と子供
モザンビーク北部の海岸線地帯には、実に美しいビーチが展開している。カーボデルガード州にあるペンバの海岸線には、美しい珊瑚礁のビーチが広がっていたが、その周辺には農村が広がり、人々は茅葺き屋根の家に暮らし、家畜を飼い自給自足の生活を営んでいる。北部農村地帯を訪問したときは、人間より家畜を多く見たことも印象的だった。

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伝統的な漁業用の船(モザンビーク北部)

モザンビークでは、女性が籠やバケツを頭に乗せて何キロも炎天下の中を歩く姿をよく見かけた。女性は何キロもの舗装されていない道路を、何時間も歩いていた。そして子どもたちは、最寄りの小学校まで平均5キロ~10キロ歩く生活を送っている。それでも、小学校が近隣にある村はまだ良いほうだ。地域によっては、小学校が近隣の村にない場合もある。そうした場合、子どもは初等教育を受けることができない。小学校が遠いという事情もさることながら、多くの子どもや女性は、家事や手伝いに追われ、学校が遠い存在になってしまうことも多い。こうした状況を改善するために、モザンビーク中部と北部の農村地帯に、小学校、給水施設、保健所が隣接した総合的な施設の建設計画を投入することによって、水因性疾病の削減と初等教育へのアクセスを容易にすることが期待できる。

近況
私は2005年4月に帰国し、現在は内閣府に置かれている国際平和協力本部事務局に研究員として勤務している。モザンビーク・アンゴラを中心とした南部アフリカを研究をする一方、複数の大学で特別講義を行っている。講義の際に大学の担当教員からは、「大学生が国際協力に関心をもつきっかけとなるような国際協力のフィールドの話をしてください」、「開発途上国の現場は大学生や一般の日本人にとっては大変遠い話であり、途上国の現場の臨場感をリアルに伝えてほしい」と要請されることが多い。現在まで4つの大学で9本の講義を行ったが、どの大学からも要求されるのは共通してこうした内容である。

多くの大学は、「国際関係論」、「国際社会学」、「開発経済学」の講座を持っており、講義後には、「多くの大学生が開発途上国の現状特に女性や子供がどのような環境にて生活しているのか」、「女性として国際協力のフィールドで仕事をして困ったことは何か」など、女性として経験した現場での苦労に質問が集中する。大半の大学生は、開発途上国のフィールドは遠い存在と認識しつつも、マラリアやHIVなどの世界的課題については関心を持っているようだ。私が大学での講義を引き受けるのは、大学生に少しでも国際協力に関心を持ってもらうきっかけとなればとの思いからだ。どの大学でも、フィールドや現場の様子が知りたいというのは共通しており、私のこうした対外活動が、未来の国際協力の業界を担う若者たちが育つきっかけとなればと願っている。

「女性や子供の生活状況改善のために貢献したい」と純粋な思いを抱いている人にメッセージを贈るとすれば、“国際協力の世界への関わり方はいろいろある”ということだ。NGOでボランティアをする、日比谷公園で開催されるグローバルフェスタに参加するなど、さまざまな形がある。こうした参加は、国際協力における人材育成への一歩となり、将来的に日本の国際協力業界へのつながるのではないかと考えている。

おわりに
モザンビークでの生活で得た一番の財産は、絶対的貧困の中でも物事をポジティブに考えることと困難の中でも笑顔を絶やさないこと、つまりラテン的オプティミズムである。「現代日本は物質的豊かさには大変恵まれているが、精神的豊かさは充実しているか」と新聞の論壇や雑誌などで論じられて久しい。精神的豊かさを持ったアフリカの人々に会えたことは、私の人生の中で貴重な経験となったといえる。

Vol.3 少年の人生変えたある日本人の教育支援

食料倉庫の前でほほ笑む一人の青年(写真上)。現在、国連世界食糧計画(WFP)のドライバーとしてケニアの難民キャンプで活躍中のザブロン・モカヤさんだ。

現在の zablonさん

「今の自分があるのは、タカコのおかげ」――約20年前、地方の小さな村の中学生だった彼(写真〔下〕中央)は、成績は優秀ながらも学費が払えず、退学寸前に追い込まれていた。だが、1987~89年に青年海外協力隊の理数科教師として学校に派遣されていた“タカコ”こと中村(旧姓原田)貴子さんが費用を肩代わりしてくれ、通い続けることができた。
ケニア西部キシイ県キメラ村の中学校で生徒の理数科を学ぶ意欲を高めるため、実験を重視した物理などの授業を行っていた中村さん。しかし現地では「年間5000円ほどの授業料が出せず学校をやめる子が大勢いた。特に勉強熱心で優秀なザブロンのような生徒が、お金がないだけで学ぶ機会を絶たれてしまうのが残念でならなかった」。また、厳しい境遇にあっても懸命に生きる子どもたちの姿を目にし、自身を見つめ直すきっかけをもらったからと支援を始めた理由を語る。

zablonさん(中等学校時代)

同国では、初等教育は無料だが中等教育は学費がかかり、貧しい家庭の子どもたちは学校に行けず、中等教育修了時の国家試験も受けられない。日本以上に学歴社会であるため、この試験の成績が進学の可否を決定し、就職、昇進、給料にまで影響する。

とはいえ、すべての生徒を支援することはできない。悩んだ中村さんはJICAの奨学金制度があるふりをして、ザブロンさんを含む数人の成績優秀者に学費や教科書を与えた。時には「お金より仕事がほしい」「一部の子どもに対するひいきだ」と言う生徒や教員がいて支援の難しさを感じたが、「まいた種がいつかどこかで実れば」と個人的に援助を続けた。

帰国後も、自動車の専門学校に通うザブロンさんに学費を送った中村さん。結婚・引っ越しを機に音信不通になってしまい心配していたが、昨年、WFP日本事務所を介して十数年ぶりに連絡があった。「あのときタカコに会えなかったら今の自分はなかったかもしれない。タカコに助けてもらったように自分も困っている人の力になりたい」と彼は話す。

中村さんいわく「隊員から個人的支援を受けた人はほかにもたくさんいる」。83年に隊員有志が始めた奨学金活動、KESTES(Kenya Student Education Scholarship URL:http://www.geocities.co.jp/NeverLand/1817/)は、ケニアの協力隊やそのOB・OG、JICA職員、ケニア在住の日本人などの寄付で成り立ち、これまで400人以上の子どもが奨学金を受けた。そんな彼らもザブロンさんのように感謝の気持ちを胸に、きっとどこかで頑張っているだろう。

(注)現在JICAでは、現地でのボランティアなどによる個人的な金品の支援は防犯上注意が必要であることなどから、奨励していない。

2008.08.08

TICADⅣ総括-NGOはこうみる[2008.8.8]

アフリカ開発会議-NGOはこうみる

5月に「横浜宣言」を採択して閉幕した第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)。この会議のために、アフリカの市民社会の声を届けようと準備を続けてきた(特活)TICAD市民社会フォーラムの舩田クラーセンさやか副代表に、NGOからみた会議の成果と今後の課題について聞いた。

(特活)TICAD市民社会フォーラム
副代表/東京外国語大学准教授
舩田クラーセンさやか氏

中国の後追いか

全体の総括としては、前回のTICAD IIIの成果が乏しかったので、それに比べると随分良くなったと思う。誰も関心を持たないまま会議が開催された前回と違い、NGOはじめ横浜市の頑張りもあったが、TICADⅣに至までの事前の努力もあり、日本の多くの人たちにアフリカについて関心を持ってもらえたことが何よりの収穫だ。今回のTICADについては、「Last Chance for TICAD(最後のチャンス)」と言わんばかりに、NGOはもちろん、アフリカ外交団も、「変わる」ことを前提として働きかけを行ったし、日本の外務省も一生懸命努力した。

具体的には、日本政府からアフリカ向けODAの倍増が表明されたが、ODA減額の圧力のなかで、債務救済の額を含まない増額に言及したことは一歩前進だ。さらに、市民社会の参画の重要性が成果文書に入り、市民の参加なしにはアフリカ開発は十分なものとならない、ということが認識された。
市民社会の実質的な参加という意味では、会議へのオブザーバー参加という形式は変わらなかった。会議直前にメディアを賑わしたNGOのパス問題(NGOが本会議場に入るためのパスが政府から十分に提供されなかった)をみても、政府の市民社会に対する姿勢が見て取れる。ただ、この問題をメディアがたくさん取り上げてくれたおかげで、日本とアフリカの市民社会の役割や存在が注目されるようになり、かえって良い機会となったともいえる。

ただし、アフリカで貧困に直面しながら暮らす大多数の人々からみたとき、今回の会議は、あまり期待された成果を出したとは言えないのではないか。NGOの視点からは、中国のアフリカ進出を意識しすぎて、国際公約であったはずの国連ミレニアム開発目標を軽視し過ぎてしまったようにみえる。中国のアフリカに対する首脳外交、大規模インフラ支援の重視、資源開発などのキーワードを日本が後追いしているようにもみえる。せっかくアフリカ諸国政府が自ら努力し始めていた透明性やアカウンタビリティの向上、汚職を防止するための試みが、後退しつつある。

今回のTICADでは、アフリカの経済成長が強調されたが、経済成長の目的であるはずの貧困削減には大きな力点は置かれなかった。何のための経済成長なのかが忘れられているように思われた。貧しい人々の生活向上のためには、どのような経済成長こそ望ましいのかもっと議論されるべきだった。例えば資源開発にしても、資源を掘り出すための投資も重要だが、その資源が、一部の特権層の懐を豊かにすることに使われるのであれば、資源は開発されないほうが良いかもしれない。分配を考えない経済成長の追及は、国民国家の歴史が浅く、多様性を抱え、分裂しがちな社会を抱えるアフリカ諸国では、暴力につながる傾向が強い。このことがどの程度意識されているだろうか。

また、インフラを作れば自然に産業が発達し、人々が豊かになるという単線的なシナリオが想定されているようだ。これはある時期のある地域においては有効だったかもしれないが、21世紀のアフリカでは難しいと考えている。まず、このシナリオにおいて、製造業の発展は不可欠な位置を占めるが、アフリカの製造業にどれほどの注目がなされ、投資が行われているかというと大いに疑問を持つ。製造業の振興なしにインフラを整備して、一次産品を左から右へ流したとしても、それだけでは発展しない。日本が得意なモノづくりを支援するのであれば別だが、資源開発だけで企業が出て行くのであれば、中国とあまり変わらない。

企業も市民社会と連携を

会議では気候変動や食料問題などもテーマになったが、気候変動における日本のイニシアチブがわかりづらかった。日本は他の先進国と同様、歴史的にみて二酸化炭素を排出し、現在の温暖化に大きく関与してきた側だ。他方、アフリカは世界で最も少ない排出量ながら、異常気象の影響を最も受けやすい。最も責任のない人々が最も影響を受けるという現実に対して、一国としても、富裕国首脳の会議(G8)の議長国としても日本の責任は大きい。しかし、福田首相が出した「クールアースパートナーシップ」の内容は、「適応策」ではなく「緩和策」で、CO2削減のための負担をアフリカにも求めるものだ。アフリカには、まず適応策を考えるべきだ。

アフリカの農業については、長年省みられない分野であったが、最近では各国政府が予算の一定程度を農業に投資することに決めるなど、農業が見直されている。60%以上を農村住民が占めるアフリカ諸国では当然のことであろう。農業分野の重点化については賛成である。ただ、アフリカの農業が経済成長の議題としてのみ議論されて良いのか疑問を感じる。アフリカで農業に携わっている人々の過半数以上は女性だ。多くの国で、依然女性は換金作物に触ってはいけないというしきたりがある。日本は得意な「コメ」の生産の倍増を支援するということであるが、コメはアフリカでは換金作物とされることが多い。そして、自家製食料となる作物の栽培はもっぱら女性が担っている。その現状のなかで、農業を経済成長の文脈だけで語ることには違和感がある。自給用の食物と換金作物の両方を考えなければならない。

農業用水確保をはじめとする農業インフラは不可欠であるが、物だけ供与されてもすぐ壊れたり、壊れたままとなることが多い。住民が維持管理できるシステムづくりが必要だ。

今回の会議では官民連携についても多くの議論がなされた。先に述べたような貧困削減、つまり広い層への分配が可能となるモデルをこそ官は奨励すべきであろう。また、官民だけでなく、民民連携も不可欠である。今後、アフリカに進出する企業はもっと市民社会との連携を考えて欲しい。消費者もまた市民社会で重要な位置を占める。企業も市民社会の一員として、積極的に一緒にやる道を模索して欲しい。ただ、そうした民の成果を官があたかも「連携」という言葉で自分たちの成果として取り込むような動きには賛成できない。官も受け身にならず、リスクを負って出て行くべきではないか。

 
モニタリング有効に生かして対話を

会議の結果、行動計画の進捗検証のためのモニタリング機能が提唱された。ただし、これも前回の会議からの宿題が、市民社会やアフリカ外交団のプレッシャーでようやく実現したものだ。しかし、具体的にどのような仕組みを作るのかは明らかでない。また、今回の行動計画は事前にモニタリングを想定して作られていることもあり、低いレベルの約束の寄せ集めの部分が大きいと聞く。そうであれば、モニタリングするコストそのものが無駄である。

5年後にまたTICADを開催する意義は本当にあるのか。これをきちんと問うフォローアップを、日本政府を始め関係者はしなければならない。日本が中国の後追いではなく、違う道を進みたいのであれば、市民社会との連携は重要だ。多くのアフリカ諸国で民主化は進展しつつある。現行政権を喜ばせることに主眼を置く協力は、近く破綻するであろう。日本の国民とアフリカ諸国民が支え合う、もっと太い関係構築への取り組みこそ求められている。そのためには、日本政府は市民社会を対等なパートナーとして位置付け、積極的に「組んで」いくべきである。

今後は、先日のTICAD外務省・NGO定期協議会でも決まったように、倍増するはずのODAの使い道などについて、政府ともいっしょに議論させていただきたい。日本の公約については、アフリカNGOも、国別、イシュー別にモニタリングするし、実施面で一緒に事業推進をしたいと言っている。今回のTICADを足がかりにして、日本とアフリカの市民社会が共鳴しあい、一緒に考え行動するきっかけができればと願っている。

『国際開発ジャーナル』2008年8月号掲載記事

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