【インタビュー】新JICAへの期待(日本財団会長 笹川陽平 氏)[2008.10.09]

日本の国際協力に自信を
国内広報と海外広報の拡充が必要

mrsasagawa.jpg
日本財団会長 笹川 陽平 氏

[プロフィール]
1939年、東京に生まれる。明治大学政経学部卒。財団法人日本造船振興財団(現海洋政策研究財団)理事長などを歴任、05年より現職。04年に読売国際協力賞、07年に国際ガンジー賞など受賞歴多数。世界保健機関(WHO)のハンセン病制圧特別大使、日本政府のハンセン病人権啓発大使などを務める。著書に「世界のハンセン病がなくなる日」(明石書店)、「あの国、この国」(産経新聞社)など。

ハンセン病の征圧や開発途上国での貧困削減に向けた取り組みを積極的に展開する日本財団会長の笹川陽平氏。“援助は現場を知ることが重要”と、年の3分の1は途上国を中心に世界中を回っている。この笹川氏に、日本外交の課題や各国で聞かれる国際協力への評価、新JICAの役割などについて聞いた。

根源的な問いに答え必要

日本の国際協力や国際貢献を考えた場合、まずは政治家もわれわれ国民も「どうして援助をしなければいけないのか」という根源的な問い対する回答を導き出すことが必要だ。国民サイドから見れば、緊迫した財政状況の中で開発途上国に援助をしているが、それが政治家やODA関係者の懐ばかりを暖め、貧しい人々には届いていないという疑念がある。国際協力をやるやらない、増やす減らすの議論に終始するのは、その意義が国民に理解されていない、あるいは説明できていないことに起因しているのではないか。新JICAも含め、“根源的な問い”に答えていくことから始めなければならない。

この問題について私は、“世界があっての日本”というあたりまえのことを、われわれ日本人は見失っているのではないかと感じている。子どものころから、学校では赤や青に塗られた日本が中心にある世界地図ばかりを見ているからでもなかろうが、世界の中心は日本だと錯覚してしまっている。現実はそうではない。日本がこうして豊かに生活できるのは、世界との関係の上に成り立っている。したがって、応分の国際協力・国際貢献をするのは、ごく当然のことではないだろうか。

国民も政治家も、安全保障と国際協力を柱とした外交が、この島国日本が生きていくために重要だということを再認識しなければいけない時代だ。

外交の劣化招く一律削減

昨今の外務省をはじめとした政治に対するバッシングの中で、首相外交や大臣クラスの外交だけではなく、民間レベルの外交も含めて劣化している。開発途上国のみならず、アメリカやヨーロッパ諸国といった先進国の要人の往来が減っている。これは在外公館でも同じ状況のようだ。

各省予算は、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化を図るために、マイナス・シーリング(概算請求基準)が設けられている。ODA予算も90年代と比較し、すでに40%近くが削減された。こうした状況下で、限られた予算を効果的に使う努力が見られるのは良いことかもしれない。しかし、何でも一律にカットしていくことは、日本外交の劣化や弱体化を招く。

今年1月、産経新聞のオピニオン面に、「日本料理は最高の外交手段」と題した論説を寄稿した。ここで私は、世界的に評価が高まっている日本料理を外交に生かすべきだと主張した。しかし現実は、給与面などで折り合いがつかず、大使公邸で日本食をつくるのは外国人というケースが目立つ。これでは日本の文化外交も心もとない。慶應義塾大学の阿川尚之教授が外交官としてワシントンに駐在していた当時、ラムズフェルド元国防長官が忙しい合間を縫って、大好きな“スシ”を食べに公邸に来たことを本で紹介している。形式的な会合よりも、こうしたところから信頼関係が生まれるものだ。公邸料理人は、公費から給与の一部は補填されるが、「大使が個人的に雇った随伴者」という位置付けだ。私はこうしたことに税金を使うことは無駄だとは思わない。不必要な道路をつくり、さらに維持費に莫大な税金を投入するより、むしろこうしたことにこそ使われてもいい。何が必要で何が無駄なのかをもう一度考えてみる必要があるだろう。

また、国際協力は外務省やJICAだけで行う時代ではないと考えている。NGOや大学、企業、財団といった民間のアクターを含め、「All Japan」で国際協力を展開していくことが重要だ。そうした意味で官民連携という言葉を耳にするようになったことは高く評価したい。官と民が連携を深めていくためには、まず官が民の目を持つことが重要だろう。民間からの意見や情報を吸い上げ、官ができることを官が、民ができることを民がやることが大切だ。民のために仕事をするのが官という当たり前の認識がなければ、官民連携という大きな協力関係はつくれない。

“Japan Way”を確立せよ

これから新JICAが日本のODAの実施部分で、特に重要な役割を担っていくことになる。ここで大切なのは、日本がこれまで行ってきた協力に自信を持つことであり、日本独自の協力をするアイディアは、われわれの生活の中にたくさんあることを認識すべきだ。

これは私の苦い経験だが、十数年前、日本財団はプライマリー・ヘルス・ケアの普及を目指して、バマコ・システムを使い医薬品の支援を行ったことがある。これは、医薬品を途上国に供給し、それを実費で販売、その売り上げでまた新たな医薬品を購入するというシステムだ。上手くいけば、一度医薬品を支援するだけで、あとは回転ドアのように医薬品の供給が継続されるはずだった。22カ国で約2,700万ドルを投入したこのプロジェクトは、ものの見事に失敗した。このバマコ・システムは、当時、国際社会では最新のアプローチとして注目されていたものだ。

この反省から、「薬が届かない人に届けるにはどうしたらいいか」を再検討し、西洋医薬品の10から20分の1と安価な伝統医薬品を活用しようという、現在の取り組みにつながった。またこれを配布する方法として、モンゴルでは日本に昔からある「置き薬」という知恵を試した。これが定住先を持たない遊牧民には非常に効果的だった。

スリランカでも日本の技術が大きく貢献した例がある。同国の人々はよく魚を食べる。日持ちさせるために干物に加工されるのだが品質が悪く、多くを輸入に頼っていた。そのため貴重な外貨が干物に消えていた。そこにNISVA(技能ボランティア海外派遣協会)からシニアボランティアが派遣された結果、質の高い干物が作れるようになった。それだけで、干物の輸入量が減り、外貨を節約することに成功している。こうした開発途上国に役立つ技術や経験は、日本にたくさんある。

欧米各国の援助は、「こうすべき」という考えの上に成り立っていることが多い。サステイナブル・ディベロップメントなど、耳あたりのよい言葉に踊らされ思考が停止していては、よい援助は生まれない。これまで日本が行ってきた協力は、現地では高く評価されている。これは日本人が現地の人々と目線をあわせ、共に活動し、共に汗を流し、共に達成の喜びを分かち合ってきたからに他ならない。

私は、こうした日本人特有の資質を“ハートウェア”と呼んでいる。相手の立場に立った援助協力ができる世界で唯一の国が日本ではないだろうか。新JICAには、ハートウェアに日本の経験や技術を加え、“Japan Way”というものを確立してほしいと考えている。

心くすぐる広報を

現在世界中に派遣されている2,000人を超える青年海外協力隊をはじめ、シニア海外ボランティア、専門家など、現場レベルで活躍している人たちがいる。これは貴重な財産だ。こうした人たちを、もっと国内外で広報する努力が必要だ。せっかく素晴らしい活動をしていても、各国の在外公館やJICA事務所が把握していないこともある。こうした事例が埋もれてしまっていては、実にもったいない。

こうした事例をヒューマンストーリーとして、もっと積極的に発信すべきだろう。「私はどうしてここに来て、何を目指して何をやっているのか」といった日本人に焦点を当てたもの。あるいは、「私はこんなことに困っていたが、日本からの援助でこんなに変わった」という、途上国の人々から見たストーリーがあってもいい。大切なのは、日本や外務省、JICAといった無機質なものを広報するのではなく、あくまでその中心にいる人間・パーソナリティーに焦点を当てることだ。結果として、その後ろに組織や国があるという広報でなければ人々の心には響かない。

こうしたヒューマンストーリーを国内に発信していく時には、地域に根ざした情報として、大手新聞の県内版や地方紙を意識して発信をしていくことも重要だ。最近では、青年海外協力隊の応募者が一時期よりも減少していると聞く。日本には途上国の人たちのために役立ちたいという志の高い若者は多い。そういう人たちの“心をくすぐる”広報が必要だ。そうすれば、国際協力に対する国民の理解や参加を促進していくことにつながる。

また、開発途上国での広報も不可欠だ。特にその国を動かすようなプロジェクトの場合、大臣クラスではなく、大統領や国家元首に対するアプローチが重要になる。そこに地元のメディアも積極的に活用する。こうした機会を積極的につくることが、在外公館や新JICAの在外事務所に求められている。