ODA卒業国との協力の在り方を検討せよ
省庁主体で協力事業の展開も
参議院議員 自由民主党 宮崎雅夫(みやざき・まさお)氏
1963年生まれ。神戸大学農学部農業工学科を卒業後、農林水産省に入省。在ベトナム日本国大使館二等書記官、東北農政局最上川下流事業所工事第一課長(山形県)、カンボジアJICA専門家、国際協力銀行参事役、熊本県農村計画・技術管理課長、農村振興局海外土地改良技術室長、農村振興局整備部地域整備課長などを歴任。2019年、参議院議員に初当選し、現在1期目。JICA議員連盟などに所属
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※本記事は『月刊 国際開発ジャーナル2021年4月号』の掲載記事です
※当コーナーでは、国際協力に詳しい国会議員が独自の視点から日本の国際協力の在り方を論じます。
JICA専門家として国づくり支援
―ベトナムで無償資金協力に携わったことがあると伺っています。当時の様子をお聞かせください。
大学卒業後、農林水産省に入り、灌漑施設整備など国内での土地改良事業を担当していた。国際協力と接点を持ったのは、1994年に在ベトナム日本国大使館に異動してからだ。私は経済班で無償資金協力を担当していた。
当時、ベトナムは政府開発援助(ODA)の受け入れを拡大し始めていた。数々のODA案件に携
わる中、今でも覚えているのがハノイのバックマイ病院に機材を納入した案件だ。赴任直後、支援に先立つ調査で同病院を視察したところ、中核病院であるにもかかわらず、一つのベッドを二人の入院患者が使用している状態であったほか、医療環境も日本とは程遠い状況で衝撃を受けた。だが、それから日本のODAを受けて施設の整備が進み、現在は基幹病院としての役割を果たしていると聞いており、安堵している。
―国際協力機構(JICA)の専門家として、カンボジアに派遣されていました。活動の様子は。
ベトナムから帰国後、山形県で灌漑施設の整備に携わった。その後、99年にJICA専門家として、水資源気象省に派遣された。当時、カンボジアは内戦が終結してまだ間もなく、国家再建が本格的に始まった時期であった。また、紛争で多くの人が命を落とし、まだ経験の浅い若手が主体となって国づくりをする必要があった。私は国づくりを支援するため、水資源気象省の政策アドバイザーとして、灌漑などに関する政策や法律の立案などで助言する役割を担っていた。毎日、私のカウンターパートである同年代の次官補の部屋に通い、日本の制度を紹介したり、必要な施策について議論を交わしたりしたのを覚えている。
このほか、無償資金協力や技術協力などのODA案件の形成にも携わった。草の根無償では地方公共団体が日本国大使館に申請してきた灌漑施設整備案件に、計画立案についての助言をしていたほか、自ら工事現場に赴きコンクリートの施工管理など現場での技術的な指導も行っていた。
卒業国への省庁の協力も一案
―日本のODAは今後、どうあるべきとお考えでしょうか。
ODAは一定期間で成果を出すことが求められている。しかし、長い目で腰を据えて取り組まなければならない部分もあるのではないか。例えば、人材育成や農業振興は短期間で成果が出るものではない。「成果が出ないから」といって、すぐに打ち切りにするのではなく、継続的に支援していく姿勢を持つべきだろう。
また、ODAは貧困や飢餓などの問題を解決して相手国を豊かにし、関係も深められるメリットがある。しかし、相手国が発展するとODAは卒業となり、今まで構築してきた関係性が薄まることも考えられる。引き続き関係を強化していくには、ODA卒業後の協力の在り方を考えていく必要があるだろう。
一つの案として、JICAと協力しながら省庁が卒業国への協力をより手掛けてもいいのではないか。農水省であれば、日本の農家による土地改良施設の水管理手法の定着や農作業機械化のためのほ場整備実施などの旗振り役を担ってもいいだろう。国会議員として、自身の経験・知見を基に何ができるか模索していきたい。
本記事は『月刊 国際開発ジャーナル2021年4月号』に掲載されています