「旅の報告」 ベトナム/中央アジア

ベトナム評価の旅

明けましておめでとうございます。
久しぶりでブログを書く余裕ができました。言い訳ではないのですが、昨年9月から12月にかけて殺人的な忙しさでした。
9月は外務省国際協力局評価委員会のアドバイザーとしてベトナムの政策評価で人口基金の池上さんと一緒にハノイを訪ね、国会議員、政府関係者、国際機関関係者、日本大使館、JICA、日本商工会議所のトップの方々、日本のNGO関係者とのヒアリングを行いました。

一言、感想を述べると、「現場はいちいち評価を気にしていては仕事にならない」という感じで、「最初から仕事が失敗すると思う人なんていない。成功したと思っていても、ちょっとした行き違い、手違いで不成功に転落することもあるんだ」という次第。しょせん、現場と評価は水と油という感じですね。

カザフスタン
Look East「日本に学べ」

ベトナムから帰国すると、今度は10月9日~17日の日程でJICA公共政策部所管の「日本センター」運営に、日本センター支援委員会委員長としてアドバイスせよ、ということで中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタンに飛びました。カザフスタンの日本センターは旧首都アルマティの経済カザフスタン大学内に設けられていますが、今回は学長との交渉でこれからの運営を、経費を含めて50%VS 50%でやっていくことが決まりました。
その合間を縫って、わが国製造業経営の教典ともいうべき5S、QC等の授業がどこまで徹底されているかを見学すべく、いくつかの現地工場を訪ねましたが、見事に整理整頓の5Sを守り、それを我がものにしていました。うれしい話ですね。
旧首都アルマティから新首都アスタナに飛びました。ただ、飛ぶといっても日本の本州ぐらいを飛ぶような距離なので1時間半はゆうにかかります。山なき平原をひたすら飛ぶだけです。10月中旬のアスタナの早朝は寒い。平均して5~6度で、時に零度だ。
中央官庁に出かけることになりました。街に人影がない。大統領の命令でつくった都市ということですが、いかにも金をかけた人工的で奇想天外なビルディング群が林立している。故黒川紀章氏の設計というが、それは都市設計であって、ビルディング設計ではない。生前、黒川氏はあまり奇抜な街づくりになったので、設計者の名を返上したいと言っていたらしい。
政府関係者は異口同音、「米国金融危機を契機に、一種のバブル崩壊が起こって、資産価値が落ち、最悪の経済状況に陥っている」と弱音をはいていました。とにかく大統領はカンカンに憤慨しているという。「欧米的な金融経済は信用できない。モノづくりに強い日本経済を学べ」と言っているらしく、政府役人は日本の経済運営、なかんずく産業政策への関心が強かった。
私の話した1997年時のアジア経済危機で日本がどういう手を打ったかというストーリーは全員、身を乗り出して聞いていました。マレーシアの元大統領マハティールのLook East Policy(東方政策)を4年前に、カザフスタン経済大学で講演した時、彼らは「マレーシアはわれわれのモデル国家だ」と言っていたことを想い出しました。資源は無尽蔵にある国です。資源外交という観点からも日本はカザフスタンにもっと目を向けるべきではないのか。ODAにおいても中進国だ、金持ちの国だと言わずに、もう一つの国益という観点からのODAを発動すべきですね。

ウズベキスタン
片思いの親日家たち

アスタナからアルマティに戻って、1時間たらずで国境をまたいだところがウズベキスタンの首都タシケントだ。タシケントは帝政ロシア時代における中央アジア支配の拠点都市でもありました。とにかく、日本は人気度ナンバーワンです。なぜか。戦前の中国奉天抑留者240人がタシケントに送られ、今も市民のオペラ劇場として親しまれている「ナボイ劇場」を建造し、その後の大地震にも耐えられた建物を日本人がつくったということで、市民の日本への関心は今も根強い。日本人240人が技術的に優れていたのは、彼らの所属が野戦航空修理所だったからだと言われています。
私たちは、こうした先人の善行のうえにアグラをかいていてはいけません。タシケントの「日本センター」も先人の名誉を傷つけないように、ウズベキスタンの人びとの期待に沿うように頑張らなければなりません。
私たちが訪問した時は、日本語学習検定で優秀な成績をおさめた男女2名を表彰し、日本に招待する式典が行われていました。式場には受賞する面々のほか50人ほどの生徒が出席していました。とにかく日本語が好きな人たちです。日本と関わりを持ちたいという人たちだけではない。日本語が好きなんです。
私は片思いのようなウズベキスタン人に、なにか日本語が役立てるような仕事場をつくってあげたいと思いました。その意味で、今や国境なき交流が始まっているのでしょうね。
ただ、日本センターの本当の仕事は、中小企業等の必要とする製造業経営学を広め、経営の体質改善、近代化を促進させるきっかけをつくることです。こうした面で実績が上がってくると、日本語熱にも現実味が増してくるのでしょうね。
そうそう…。タシケントから30分も飛ぶと、シルクロード時代の中心地サマルカンドに着きます。チンギスカン没後の中央アジアを支配したティムールの首都としてサマルカンドは栄華をほしいままにしました。それは14~15世紀頃の歴史です。世界遺産としての多くのモスクなどの建造物は、いわゆるサマルカンド・ブルーの美しさを今でも輝かせています。
私たちはサマルカンド商工会議所や伊藤忠商事が協力している自動車工場も訪ねました。重要な部品は日本-中国経由で運ばれてくるそうですが、日本人のつくった大切なパーツが海を渡り、中国沿海州から内陸鉄道で遠路8,000キロ以上の旅をしてサマルカンドでトラックやバスになる。まさに、現代版シルクロードの旅ですね。
サマルカンドの名所、ティムール廟を見学していた時、前方から来た若者集団(15名程度)に声をかけられて驚いた。「こんにちは。一緒に写真を撮らせてください」という。聞くと、彼らは観光学校の生徒で、実習でサマルカンド観光名所を回っているという。一緒に写真におさまりました。若者の間に入って私は感激しました。彼らは皆、日本にあこがれている。日本人はこのように中央アジアの若者たちから注目され、日本人と交流したいと思っている。日本の若者たちよ、なぜ外に出て彼らと交流しないのか。君たちには国境がないのだ。まさに、私の恩師、大来佐武郎先生(元外相)の名言「四海同胞」を叫びたい。
今日はここまでにします。次も旅行日記を書いてみようと思います。

カザフスタン首都アスタナの奇抜なビルディング群
(1)カザフスタン首都アスタナの奇抜なビルディング群

ウズベキスタンの観光地・世界遺産サマルカンドの栄光に満ちた建造物
(2)ウズベキスタンの観光地・世界遺産サマルカンドの栄光に満ちた建造物

ウズベキスタンの首都タシケントの誇り「ナボイ劇場」  戦前の奉天抑留者たちの涙と汗の結晶
(3)ウズベキスタンの首都タシケントの誇り「ナボイ劇場」  戦前の奉天抑留者たちの涙と汗の結晶

ウズベキスタン「日本センター」(JICA運営)で日本語検定の最優秀者表彰式に参列した日本語学習者たち
(4)ウズベキスタン「日本センター」(JICA運営)で日本語検定の最優秀者表彰式に参列した日本語学習者たち