“暗黙知ストーリー” 「なぜ無償資金協力は外務省専管になったのか」

かつての大蔵省の主張
新JICAの発足に伴い、外務省国際協力局所管の無償資金協力部門が7~8割方、新JICAへ業務移管することになりました。これまでは“業務促進”で、外務省の実施をJICAが現場的に促進するだけで、実施の主体性がありませんでした。

 今度は実施に関して全面的にJICA側の責任が問われることになります。そもそも(こういう言葉は長老のはく言葉ですが、経験の暗黙知といえますかな)、無償資金協力の所管をめぐって霞が関でバトルが発生したとき、当時の大蔵省(現・財務省)は、無償であろうが有償であろうが、資金の管理は資金協力(円借款など)を専管とする当時のOECF(海外経済協力基金)に一括すべきだと主張しました。
ちなみに、OECFは日本輸出入銀行と一緒になってJBIC(国際協力銀行)となり、今度はJBIC(円借款部門)とJICAが一緒になるというように、政治の気ままな行政改革の被害者になっています。

外務省の主張
これに対して外務省は、本来の援助効果論を前面に立てて、「援助の一番重視すべきところは、被援助国の自立を促す重要な柱、“技術、知識ノウハウの移転”であるから、無償資金はJICAの行っている技術協力(技術移転)という、発展の芽ともいうべき“点”を“面”に拡大することに役立つ効果的、効率的なツールである」と反論したわけです。所管争いは資金管理、実施の許認可権は外務省に属するということで一件落着しました。

大きな後遺症
私はその時、一つの後遺症を残したように思っています。つまり、「技術移転を拡大するためだったら、それほど資金(一般会計予算)もいらないだろう」という既成事実を大蔵省主計局側に与え、「無償予算の抑制」への布石が打たれたような印象をもっています。他の主要援助国ではODA予算の80~90%が無償資金であるのに対して、日本は伝統のように、有償の円借款協力がODA予算の約50%(かつては60%以上)を占めています。こうした流れを無償の外務省専管化が一層促進したのではないかとみています。
 そういうわけですから、無償資金協力予算を増やすのに苦労したわけです。
 80年代の構造不況の際には、不況業種の生産物を買い上げるという名目で、棒鋼だの肥料などが大量に被援助国に無償供与されました。また、領海200カイリ問題が起こると、漁業権確保のために水産無償が始まりました。外務省は時代のニーズに応じながら無償資金の予算枠を拡大しなければなりませんでした。要するに、国論を形成するような形で、予算枠拡大を図ってきたわけではありません。姑息な手段を多用しすぎた感があります。 

マイクロ・マネジメント
こうして外務省はまんまと無償資金協力の専管化(他省の干渉を許さない)を手に入れました。ところが、外務省は無償資金の管理とこの資金を使う技術協力を中心とした援助方針、政策の策定に専念すべきところを、実施に関する許認可という実施機関の領域にまで深く踏み込んでしまったわけです。いわゆる無償資金協力のマイクロ・マネジメントを行ったわけです。これは、外務省側にいわせれば、「無償資金協力に行政組織として責任をもたなければならない」から介入しているのだというわけです。
しかし、そういう懸念を残しながらも、新JICA発足で無償資金協力事業の責任ある実施を含めて7~8割が移管されることになりました。今度は新JICAの責任が問われることになります。新JICAはどういう責任ある実施体制を構築しようとしているのか。次回ではそのことに言及します。
お楽しみに。