TICADⅣ総括-NGOはこうみる[2008.8.8]

アフリカ開発会議-NGOはこうみる

5月に「横浜宣言」を採択して閉幕した第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)。この会議のために、アフリカの市民社会の声を届けようと準備を続けてきた(特活)TICAD市民社会フォーラムの舩田クラーセンさやか副代表に、NGOからみた会議の成果と今後の課題について聞いた。

(特活)TICAD市民社会フォーラム
副代表/東京外国語大学准教授
舩田クラーセンさやか氏

中国の後追いか

全体の総括としては、前回のTICAD IIIの成果が乏しかったので、それに比べると随分良くなったと思う。誰も関心を持たないまま会議が開催された前回と違い、NGOはじめ横浜市の頑張りもあったが、TICADⅣに至までの事前の努力もあり、日本の多くの人たちにアフリカについて関心を持ってもらえたことが何よりの収穫だ。今回のTICADについては、「Last Chance for TICAD(最後のチャンス)」と言わんばかりに、NGOはもちろん、アフリカ外交団も、「変わる」ことを前提として働きかけを行ったし、日本の外務省も一生懸命努力した。

具体的には、日本政府からアフリカ向けODAの倍増が表明されたが、ODA減額の圧力のなかで、債務救済の額を含まない増額に言及したことは一歩前進だ。さらに、市民社会の参画の重要性が成果文書に入り、市民の参加なしにはアフリカ開発は十分なものとならない、ということが認識された。
市民社会の実質的な参加という意味では、会議へのオブザーバー参加という形式は変わらなかった。会議直前にメディアを賑わしたNGOのパス問題(NGOが本会議場に入るためのパスが政府から十分に提供されなかった)をみても、政府の市民社会に対する姿勢が見て取れる。ただ、この問題をメディアがたくさん取り上げてくれたおかげで、日本とアフリカの市民社会の役割や存在が注目されるようになり、かえって良い機会となったともいえる。

ただし、アフリカで貧困に直面しながら暮らす大多数の人々からみたとき、今回の会議は、あまり期待された成果を出したとは言えないのではないか。NGOの視点からは、中国のアフリカ進出を意識しすぎて、国際公約であったはずの国連ミレニアム開発目標を軽視し過ぎてしまったようにみえる。中国のアフリカに対する首脳外交、大規模インフラ支援の重視、資源開発などのキーワードを日本が後追いしているようにもみえる。せっかくアフリカ諸国政府が自ら努力し始めていた透明性やアカウンタビリティの向上、汚職を防止するための試みが、後退しつつある。

今回のTICADでは、アフリカの経済成長が強調されたが、経済成長の目的であるはずの貧困削減には大きな力点は置かれなかった。何のための経済成長なのかが忘れられているように思われた。貧しい人々の生活向上のためには、どのような経済成長こそ望ましいのかもっと議論されるべきだった。例えば資源開発にしても、資源を掘り出すための投資も重要だが、その資源が、一部の特権層の懐を豊かにすることに使われるのであれば、資源は開発されないほうが良いかもしれない。分配を考えない経済成長の追及は、国民国家の歴史が浅く、多様性を抱え、分裂しがちな社会を抱えるアフリカ諸国では、暴力につながる傾向が強い。このことがどの程度意識されているだろうか。

また、インフラを作れば自然に産業が発達し、人々が豊かになるという単線的なシナリオが想定されているようだ。これはある時期のある地域においては有効だったかもしれないが、21世紀のアフリカでは難しいと考えている。まず、このシナリオにおいて、製造業の発展は不可欠な位置を占めるが、アフリカの製造業にどれほどの注目がなされ、投資が行われているかというと大いに疑問を持つ。製造業の振興なしにインフラを整備して、一次産品を左から右へ流したとしても、それだけでは発展しない。日本が得意なモノづくりを支援するのであれば別だが、資源開発だけで企業が出て行くのであれば、中国とあまり変わらない。

企業も市民社会と連携を

会議では気候変動や食料問題などもテーマになったが、気候変動における日本のイニシアチブがわかりづらかった。日本は他の先進国と同様、歴史的にみて二酸化炭素を排出し、現在の温暖化に大きく関与してきた側だ。他方、アフリカは世界で最も少ない排出量ながら、異常気象の影響を最も受けやすい。最も責任のない人々が最も影響を受けるという現実に対して、一国としても、富裕国首脳の会議(G8)の議長国としても日本の責任は大きい。しかし、福田首相が出した「クールアースパートナーシップ」の内容は、「適応策」ではなく「緩和策」で、CO2削減のための負担をアフリカにも求めるものだ。アフリカには、まず適応策を考えるべきだ。

アフリカの農業については、長年省みられない分野であったが、最近では各国政府が予算の一定程度を農業に投資することに決めるなど、農業が見直されている。60%以上を農村住民が占めるアフリカ諸国では当然のことであろう。農業分野の重点化については賛成である。ただ、アフリカの農業が経済成長の議題としてのみ議論されて良いのか疑問を感じる。アフリカで農業に携わっている人々の過半数以上は女性だ。多くの国で、依然女性は換金作物に触ってはいけないというしきたりがある。日本は得意な「コメ」の生産の倍増を支援するということであるが、コメはアフリカでは換金作物とされることが多い。そして、自家製食料となる作物の栽培はもっぱら女性が担っている。その現状のなかで、農業を経済成長の文脈だけで語ることには違和感がある。自給用の食物と換金作物の両方を考えなければならない。

農業用水確保をはじめとする農業インフラは不可欠であるが、物だけ供与されてもすぐ壊れたり、壊れたままとなることが多い。住民が維持管理できるシステムづくりが必要だ。

今回の会議では官民連携についても多くの議論がなされた。先に述べたような貧困削減、つまり広い層への分配が可能となるモデルをこそ官は奨励すべきであろう。また、官民だけでなく、民民連携も不可欠である。今後、アフリカに進出する企業はもっと市民社会との連携を考えて欲しい。消費者もまた市民社会で重要な位置を占める。企業も市民社会の一員として、積極的に一緒にやる道を模索して欲しい。ただ、そうした民の成果を官があたかも「連携」という言葉で自分たちの成果として取り込むような動きには賛成できない。官も受け身にならず、リスクを負って出て行くべきではないか。

 
モニタリング有効に生かして対話を

会議の結果、行動計画の進捗検証のためのモニタリング機能が提唱された。ただし、これも前回の会議からの宿題が、市民社会やアフリカ外交団のプレッシャーでようやく実現したものだ。しかし、具体的にどのような仕組みを作るのかは明らかでない。また、今回の行動計画は事前にモニタリングを想定して作られていることもあり、低いレベルの約束の寄せ集めの部分が大きいと聞く。そうであれば、モニタリングするコストそのものが無駄である。

5年後にまたTICADを開催する意義は本当にあるのか。これをきちんと問うフォローアップを、日本政府を始め関係者はしなければならない。日本が中国の後追いではなく、違う道を進みたいのであれば、市民社会との連携は重要だ。多くのアフリカ諸国で民主化は進展しつつある。現行政権を喜ばせることに主眼を置く協力は、近く破綻するであろう。日本の国民とアフリカ諸国民が支え合う、もっと太い関係構築への取り組みこそ求められている。そのためには、日本政府は市民社会を対等なパートナーとして位置付け、積極的に「組んで」いくべきである。

今後は、先日のTICAD外務省・NGO定期協議会でも決まったように、倍増するはずのODAの使い道などについて、政府ともいっしょに議論させていただきたい。日本の公約については、アフリカNGOも、国別、イシュー別にモニタリングするし、実施面で一緒に事業推進をしたいと言っている。今回のTICADを足がかりにして、日本とアフリカの市民社会が共鳴しあい、一緒に考え行動するきっかけができればと願っている。

『国際開発ジャーナル』2008年8月号掲載記事