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【私のキャリアパス】大きなインパクトもたらす仕事

世界銀行インスティテュート
(World Bank Institute)
業務担当局長
西尾 昭彦 さん

【西尾さんのキャリアパス】

23歳 一橋大学卒業後、海外経済協力基金(現国際協力機構)へ。
   2年後ブリティッシュ・カウンシル奨学生として
   英国ケンブリッジ大学大学院に留学(開発経済学修士)
29歳 ヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)で
   世界銀行に入行
30歳 インドネシアの農村開発担当エコノミスト
39歳 中国対応プログラム・コーディネーター
44歳 譲許性資金・グローバルパートナーシップ総局
   IDA資金担当課長
47歳 同総局IDA資金担当局長
50歳 現職

【東欧、アフリカ、アジアで活躍】  

 29歳という若さで世界銀行(WB)に入行以来、20年以上にわたってアジアを中心とする開発支援にかかわってきた西尾さん。2009年4月には、貧しい国に対し開発の先端知識を普及させる世界銀行インスティテュート(WBI)の業務担当局長に就任。WBIの抜本的見直しの命を受け、組織の改革に奮闘している。世銀で管理職に就くには、厳しい競争に勝ち残らなければならない。だが、それまでの仕事を通じて大きな成果を上げてきた西尾さんは今、組織の中核を担う存在だ。
 
 そんな西尾さんが、開発途上国の開発や貧困問題に関心を持ったのは、大学生のとき。社会問題や貧しい国々のことを書き続けた作家、開高健に憧れ、もの書きになれたらと3年生の時に1年間フランスへ留学。その間、シベリア鉄道の旅で東側の国々の実態を垣間見て旧ソ連の経済政策の矛盾を実感した。またフランスでは移民であるモロッコ人と知り合い、彼の身の上話を聞くうちに、世界には多くの問題があると感じた。
 
 帰国して米誌Newsweek でアルバイトをした後、大学を卒業し、現在の国際協力機構(JICA)である海外経済協力基金に新卒で入る。在籍中、英国で修士号を取得するなどキャリアアップを含めて5年間勤めた。その後、若手職員採用プログラムの一つであるヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)を通じてWBへ。「将来、幹部への道も開ける可能性があると聞きYPPに応募した」。
 最初に担当したのは共産主義体制から脱却しようとしていたハンガリー。次はフランス語の力を見込まれてアフリカのチャド。当時同国は内乱と内乱の狭間の安定した時期で、石油も発見されるなど「面白い時期に担当した」と感じる一方、アフリカの開発には大変な困難が伴うことを実感した。その後、インドネシアを7年間、中国を5年間担当、いわゆる「貸し付けの仕事」を行った。インドネシアでは、2年目に初めてタスクマネージャーとしてエビ養殖プロジェクト監督という責任ある仕事を任されたほか、土地登記、農村開発、森林保護などのプロジェクトを手掛ける。次の中国では、同国の開発プロジェクト全体を統括する立場で支援戦略ペーパーをまとめた。猛烈に成長する中国に対し、世銀ソフト・ローンの供与は1999年に終了していたが、西尾さんは「最貧地域で医療・教育サービスを充実させたい」という中国の担当大臣の声を受け、英国からのグラント(贈与)を利用した「Blending」という仕組みを考え出し、100億円級プロジェクト3件に結実させた。さらにIDA(最貧国向けの低利資金)担当の課長・局長を歴任。07年の第15次増資交渉は史上最高の4兆円規模で決着。

【「発言すること」の大切さ】

 西尾さんが積み上げてきたキャリアには数々のターニングポイントがある。その一つは、インドネシアを担当した際、ドイツ人の上司に呼び出されて言われたある言葉。「世銀では『日本人は何を考えているのか分からない』という声があるが、それを払しょくするために次の三つを徹底しろ」。三つとは、公衆の前でうまく話せるようになること、自分のプロジェクトに没頭するだけでなく世銀全体で顔を売り、上司が西尾さんの昇進を推薦しやすい環境を作ること、そして貸し付けの仕事だけでなく、調査や研究など知識を伝える仕事でも実績を挙げること。

 「上のポストになるほど責任は大きくなるが、その分やりがいも増える」という西尾さん。自分の可能性を突き詰め、大きなインパクトをもたらす仕事が楽しい、とやりがいをもって仕事をしている。

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