月別アーカイブ: 3月 2016

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【大学の国際化最前線】琉球大学 観光産業科学部観光科学科/観光科学研究科

【ここがポイント!】

ryukyu

◎サステナブル・ツーリズムのあり方を観光立県沖縄で学ぶ ◎観光学が学べる大学院で国際観光のエキスパートに!

【「国際観光」の切り口から学ぶ国際協力】

 豊かな自然と文化に恵まれた観光立県沖縄の中部に位置する琉球大学。2005年に設立された観光産業科学部観光科学科は、全国初の観光学を専門とする学科で、国内外の観光産業振興に貢献できる人材の育成を目指している。
 
 「国際観光論」「国際開発論」「アジア経済論」などの講義を担当する同学科の梅村哲夫教授は、「国際観光」を学ぶ魅力について、「世界経済の動向を幅広く理解し、グローバルな視点を身に付けられること」と話す。さらに、「近年、アジアなどの新興工業国・地域の所得が上昇するとともに、多くの途上国でインフラの整備が進んでいるが、今や各国の開発計画には必ず観光開発が取り入れられている。国際観光という切り口からグローバルイシューを理解することで、経済社会開発の視点を醸成し、多面的な側面を持つ国際開発や国際協力にも応用できる」と、国際観光論の可能性について語っている。 梅村教授のゼミナール(観光学演習)には、現在12人の学生が在籍し、それぞれが関心を持つ分野・地域の観光について学んでいる。青年海外協力隊を目指す学生や沖縄観光親善使節「ミス沖縄」として国内外の観光プロモーションに携わる学生もいる。

【2009年4月、待望の観光大学院がスタート!】

 大学院教育にも力を入れる琉球大学では、09年に観光科学研究科観光科学専攻がスタートした。同専攻は、観光科学の立場から観光事象をとらえ、教育研究によって持続可能な観光振興や観光開発をリードできる国際人を養成しようと設立された。
 
 コンセプトは、従来型のマスツーリズムに代わる「持続可能な観光(サステナブル・ツーリズム)」の推進と、観光振興の国際化、観光を通じた地域活性化への貢献だ。 同研究科には現在、大手旅行代理店や航空会社、金融機関などに勤務する社会人学生ら6人が在籍しており、各自の関心テーマに基づく研究を進めている。留学生にも広く門戸を開き、今後、さらに国際色豊かなキャンパスになることが予想される。(2009年現在)
 
 また、琉球大学はアジアや太平洋島嶼国の大学との学術交流協定を結んでおり、交換留学の機会の提供や島嶼国共通の課題解決に向けた共同研究にも取り組んでいる。国際開発における新しいパラダイムの一つとして「国際観光」に注目が集まる中、地理的にもユニークな亜熱帯島嶼地域の沖縄で、楽しみながら「観光」と「開発」の可能性を探ってみよう。

【Access】

〒903—0213 沖縄県中頭郡西原町字千原1番地
URL http://www.tourism.u-ryukyu.ac.jp

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【大学の国際化最前線】関西大学大学院 総合情報学研究科

【ここがポイント!】

kansai

◎社会人にも広く門戸を開き、学生が自主的に行動できる環境
◎国際協力の舞台で活躍するOB・OG

【キーワードは「ICT」「教育」「国際」】

 高度な専門知識を有する「情報スペシャリスト」の養成を目的に、1998年に開設された関西大学大学院総合情報学研究科。同研究科の特徴は、社会人にも広く門戸を開き、働きながら通えるよう昼夜開講制を採用していること。また、「課題研究科目」を軸に、情報化の進展に伴う国内外の社会的な問題などを取り上げ、大学院生が共同で研究を進めている。
 
 中でも「情報通信技術(ICT)」「教育」「国際」をキーワードに、「フィールドリサーチ方法論」の講義を行う久保田賢一教授は、学生が自主的に国際協力活動に取り組めるようユニークな講座を提供している。海外における教育分野の研究にも力を入れる久保田教授は、学部生に向けた海外スタディツアーなど若者の国際協力活動への参加を積極的に促す一方、「大学院では国際協力について学ぶのではなく、専門性を身に付けることが大切」と、専門の上に立った研究活動を実践するよう伝えている。

【学生による本格的な国際協力活動】

 また、同研究科は文部科学省の「平成20年度大学院教育改革支援プログラム(大学院GP)」に採択された「参加連携型の大学院教育による社会創造―共同プロジェクトによる『考動力』の育成」に力を入れており、海外の研究機関や大学、地域など多くの組織と連携しながらさまざまな取り組みを行っている。具体的には、世界各国に派遣されている国際ボランティアと日本の小中学校をインターネットで結ぶ「Meet the GLOBE」や、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)と連携してパレスチナ難民に対する教育の質的改善を促す支援、フィリピンと日本の大学間連携を通じてフィリピンの教育を支援する活動など、多岐にわたる。

 プログラムの代表を務める久保田教授は「大学院での研究の中心は、講義ではなく学生が自主的に組織化して活動し、論文を発表すること。マネジメント力やコミュニケーション能力、情報リテラシーを身に付けるため、現場に足を運び、より多くの人とかかわることが大切」と、このプログラムの深化と拡大に努めている。

 久保田教授のもとで学んだ卒業生・修了生の中には、これまでに10数名が青年海外協力隊に参加し、その後、海外へ留学したり、JICA専門家やNGOのスタッフとして活躍するなど、国際協力の舞台で活躍している。

【Access】

高槻キャンパス
〒569-1095 大阪府高槻市霊仙寺町2-1-1
URL http://www.kansai-u.ac.jp

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【私のキャリアパス】ジャーナリスト経てIMF広報

国際通貨基金
アジア太平洋地域事務所 広報マネージャー
宇都宮 敬子さん

【宇都宮さんのキャリアパス】

22歳 日本女子大学在学中、
   北京師範大学へ1年間語学留学
27歳 筑波大学大学院修士課程修了後、シカゴ大学大学院へ。
   専攻は東アジア研究
31歳 シカゴのテレビ局でインターン後、
   ドキュメンタリー番組の制作会社に就職
37歳 36歳で帰国、テレビ番組ディレクターを経てIMFへ

【37歳の転身】

 東京・千代田区の国際通貨基金(IMF)アジア太平洋地域事務所(OAP)で広報全般を担当する宇都宮敬子さんの夢は「ジャーナリストか国際機関で働くこと」だった。後者の夢をかなえたのは37歳の時。テレビ番組のディレクターからの転身だった。

 新聞記者を目指した大学生時代、留学先の中国で近現代史の知識不足を痛感し、大学院へ進学。修士号取得後アメリカへ渡るが、3年弱で研究生活を断念した。そこでジャーナリスト志望者のための奨学金を得てテレビ局でインターンをした後、シカゴのドキュメンタリー制作会社に就職。リサーチ、取材、編集の日々に、ジャーナリストの夢に近づいていることを実感した。

 だが、2001年の9.11の同時多発テロでテレビ業界は自粛ムードへ突入。そのとき宇都宮さんは出産を経てドキュメンタリー制作会社に復帰したばかり。そんな彼女を待っていたのは、レイオフの宣告だった。その後、パート勤めをしながらフリーでビデオ制作の仕事をしたり、地元のテレビ局で働いたりしたが、生活が成り立たず帰国を決意。その時36歳になっていた。

 日本では、30過ぎで子どもを育てる女性が正社員の職を見つけるのは難しい。 とりあえず派遣社員としてNHKのディレクターを務めたが、このままでは先がないと見切りをつけ、半年後には就職活動を再開した。「毎週ジャパンタイムズの月曜版を見て、目ぼしい仕事がないか探しました」。紙面の求人広告では、国際機関の仕事に目が留まった。「学歴がじゃまにならず、女性だとか子持ちということで差別されないし、英語も生かせる」。かつての夢を思い出し、OAPの広報マネージャーの求人を見つけるとすかさず応募した。

【「チャンスを逃さないで!」】

 13人のスタッフがいるOAPで、たった一人の広報官として彼女がカバーするのは、メディア対応から国内外でのセミナーの企画・運営、採用広報活動、出版物の日本語訳の手配とレビュー、インターンシッププログラムの運営など多岐にわたる。08年は日本でのG7や洞爺湖サミットに続き、秋以降に起きた金融危機をめぐってメディアからの問い合わせが相次いだ。「IMFについてのブリーフィングをたくさんしたのですが、それがす ごく自分のためになりました。私のバックグラウンドは経済学ではないので、毎日が勉強です」。また、アジア各国の政府高官を対象とした能力強化プログラムを担当。「各国の政策担当者と触れ合えるのは今後の仕事につながるし、キャリアの幅も広がった」。  

 IMFの名前は聞くがその内容をよく知る人は多くないだろう。彼女がこのポストに就いてから、IMFを雲の上の存在から身近なものへと変えるため、広報の新たな取り組みが始まった。日比谷公園で毎年行われるグローバルフェスタへの出展のほか、大学のジョブフェアなどでもIMFを紹介し、院生を対象としたインターンシッププログラムも制度化した。こうしてさまざまなアイデアを練り、活動の枠を広げていくことにやりがいを感じている。  

 「国際機関って、博士号が必要だったり、若いうちは間口がとても狭い。でも30歳を過ぎるとチャンスは広がっていくので、自分を一番生かせるポジションは何か、イメージしてキャリアを積み重ねていってほしいですね。そしてチャンスが巡ってきたらすかさずつかむ!」。
自身のキャリアを振り返りながら選ぶ言葉には説得力がある。

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【私のキャリアパス】銀行マンから国際協力前線に

(株)国際開発アソシエイツ
パーマネントエキスパート
泉 泰雄さん

【泉さんのキャリアパス】

23歳 国際基督教大学卒業後、
   日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)に入社
27歳 フランスで経営学修士MBA取得
42歳 欧州復興開発銀行(EBRD)シニアバンカー
46歳 興銀国際業務部副部長
49歳 世界銀行欧州中央アジア地域
   民間、・金融セクター開発局セクターマネージャー
56歳 アイ・シー・ネット(株)シニアコンサルタント
60歳 現職

【民間出身の日本人として】

 「開発分野の専門性に加え、財政・金融への理解があってこそ、より良い国際協力が可能」――こう言い切る泉泰雄さんは、大学卒業から約20年間、産業金融を担う 銀行に勤務。広島や東京を経てパリ、ロンドンから欧州・中東、アフリカなどを飛び回り、各国政府・欧州企業への営業やプロジェクトファイナンス、M&A、欧州拠点支援などに取り組み、経験と実績を積んだ。

 そんな泉さんが国際協力に関心を持ったのは1980年代、仕事で東欧を訪れ、社会主義体制の行き詰まりを実感したことが影響している。経済の停滞と広がる貧困格差を目の当たりにし、何とかしたいと考え ていたとき、欧州復興開発銀行(EBRD)が設立されると聞き、入行試験に応募、採用された。EBRDは、89年のベルリンの壁崩壊を背景に、旧ソ連・東欧諸国の市場経済移行を支援しようと設立された国際開発金融機関で、泉さんは民間出身の日本人第1号として参画。バルカン諸国を担当し、それまでの国際金融業務の経験を生かして案件審査や提案、監理などを行った。だが、各国の強引な民営化や失業者の急増、市場経済原理に苦労する人々を見て、EBRDの戦略に疑問を感じることもあった。
 
 そうした中、両親が相次いで病に倒れたのを機にEBRDを退職し、興銀へ復職。日本で働いていたが、4年が経ったころ、来日した世界銀行副総裁からの求めで、民間・ 金融セクター改革、総合的な経済・社会開発などを論じ合ったのを機に世銀に応募。 98年に本部欧州中央アジア地域の管理職として採用され、ルーマニアで民営化や金融・資本市場改革、不良債権を抱える国有銀行の解体などに加え、社会開発・貧困削減も含むプロジェクトをまとめたほか、各国の中小企業支援、投資促進、産業人材育成などに携わった。

 その後、東欧諸国のEU加盟を見届けて05年に世銀を離れ、日本の開発コンサルティング企業の一員としてアフリカや中東、アジアで活動。06年から九州大学との共同事業、インドネシア・ガジャマダ大学産業・地域連携プロジェクトで副総括を務め、泉さんは大学経営陣らに対する経営面に関する助言や、産業・地域連携の具体的な知識・スキルを伝え自立を促した。

【道は一直線ではない】

 日本の長期金融機関、国際機関、開発コンサルティング企業とさまざまな立場で国際協力に携わってきた泉さんだが、今最も力を入れているのが若い人材の育成だ。
 
 「日本の学生の知的水準・能力は低い。受け身の姿勢では実務家として通用しない」。強い危機感を抱いて、01年から日本の大学で客員教授として講義、そして学生や若手実務家を対象とした能力開発グループ「Friday World」を立ち上げ、米国から各地をスカイプでつなぎ、議論を交わす勉強会を行ってきた。さらに、説明を聞くのではなく、発表・提案型の研修旅行を企画・実施。参加者中10人以上が世銀・国連やJICAなどへの就職を果たしている。
 
 「国際協力のキャリアパスは一直線ではない」。プロになるには開発分野の専門性や途上国と国際ドナーの活動に関する知識に加え、日本の理解も大切と説く。そして「若い時期に官庁や企業、NGOなどの日本の組織に一定期間身を置くのも選択肢の一つ」と話す泉さん。「組織的な業務への対応や“ホウレンソウ(報告・連絡・相談)”、根回し、内部けん制などの“スキル”を身に付けることも必要だ」と語る。そしてモチベーションを維持し続けるための“意欲”も重要だと強調する。

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【私のキャリアパス】雑誌編集者の経験を広報に生かす

(株)日本フォスター・プラン協会 
コミュニケーション部  広報担当シニアオフィサー
久保田 恭代さん

【久保田さんのキャリアパス】

23歳 慶應義塾大学文学部英米文学科卒業後、
   (株)オレンジページに入社
32歳 退社
33歳 プラン・ジャパンへ

【雑誌編集者を経て】

 アジアやアフリカ、中南米の49カ国・約260地域で、学校建設や予防接種、職業訓練などを通じた地域開発を進める国際NGO「プラン」。手紙や写真などのやりとりを通じて相互理解を深める「プラン・スポンサーシップ」制度が特徴で、現地の子どもや住民たちが行う地域活動を資金面から継続的に支えている。支援国は欧米をはじめとする17カ国。日本でも(財)日本フォスター・プラン協会(プラン・ジャパン)の活動は広く知られており、現在約5万人の“スポンサー”がいる。

 そんなプラン・ジャパンの広報担当シニアオフィサーとして2002年に入局した久保田恭代さんは、それまでの約9年間、主婦などの女性読者を対象に身近な生活情報などを発信する雑誌『オレンジページ』の編集者として活躍していた。  大学卒業後、「女性でも男性と対等に仕事ができる環境に身を置きたい」と出版社に入社。以来、料理や健康、インテリア、旅などをキーワードにした誌面づくりを手掛けた。「とにかく売れる企画や主婦たちが喜ぶよう な内容を考え続けた」と振り返る。雑誌編集の仕事は、忙しくて苦しい面はあるものの、いろんな人に会えたり達成感を感じられて面白く、夢中で働いていたという。

 しかし、入社7年ほどが経ったころに近所の障がい児サポートのサークルでボランティア活動を始めたことから、「家庭の中のことばかりでなく、もっと社会の問題を知り、外に向かって発信したい」と考えるようになった。また、「編集者は常に傍観者の立場だ」ともどかしさを感じてしまうこともしばしば。とはいっても立ち止まって考える時間などなく、「辞めないことには次に進めない状態」だった。そして考えた末に“リセット”のつもりで退社。その後、約1年半、英語を勉強し直したり、フリーランスのライターとして記事を書くなどして過ごし、そうした中で見つけたのが、プラン・ジャパンの広報の仕事だ。

【国際協力の裾野を広げたい】

 広報担当として最初に企画したのは「泳げ!夢のこいのぼり」というイベント。ウガンダやハイチ、ベトナムなどの開発途上国や日本の子どもたちが大きなこいのぼりに「現実と理想」をテーマにした絵を描き、それを東京・お台場に展示。プラン・ジャパンの20周年記念イベントとして重要な役割を担った。

 以降、一般の人に途上国の魅力や国際協力の必要性を広く伝えるためのユニークな企画を次々に立ち上げてきた。そして現在力を入れているのが、08年9月にスタートした「途上国の女の子に笑顔を! キャンペーン」。過酷な労働を強いられたり、人身売買の対象とされることの多い途上国の少女たちの環境を変えるための企画だ。有名デザイナーや作家、スポーツ選手などとのコラボレーションも積極的に企画・実施し、より多くの人に関心を持ってもらおうと努めている。

【ユニークなアイデア生み出す幅広いネットワーク】

 現場の最前線で活躍するスタッフや留学・フィールド派遣などを経験してきた周囲の職員らに比べ、「知識や経験の面で足りない部分がたくさんある」と思うこともある。だが、雑誌の編集者として日本で培ってきたネットワークが、国際協力の裾野を広げるためのユニークなアイデアとその発信につながっている。「日本での、途上国への関心や共感はまだまだ充分ではない」と広報の難しさも感じているが、「まだやらなきゃいけないことがたくさんある」と、これからも広報の仕事を続けていく予定だ。