アフガン支援の覚悟とは

援助目的は何か
 3月1日、BSフジの番組・プライムニュースで国際協力問題が取り上げられ、私と大島賢三さん(JICA副理事長)が出演しました。本番ではほとんど即答方式で、用意した台本などは役に立たない始末。意外と本音が出てしまう。

 たとえば、アフガニスタン問題。民主党は給油支援を打ち切って、教育などアフガン支援に切り替えるという方針を打ち出しました。私は給油支援が対米協調路線であるのに対し、アフガン支援への切り替えは、民主党の“顔の見える援助”にしたいという意図が働いていたのではないか、と指摘しました。しかし、本質的にはこの切り替えも給油支援同様に、対米協調であってどこまで米国のようにテロ対策という政治目的への取り組みであるかどうか定かではありません。

ジェスチャー外交か
 一歩も郊外に出られない状態に押し込められて、どこまで開発援助に踏み込めることができるのか。この状態がいつまで続くのか誰も予測できません。本気でアフガン支援するならば、日本としての覚悟が必要だと思います。
 今の状態では、一人たりとも死んではならない。一人でも死んだら国民の総反発を受けてアフガン支援からの総撤退を余儀なくされるからだ、という。
しかし、現地にはアフガンの子どもたち、人びとを助けようと待機しているODA専門家たちがいる。彼らは毎日、「何のために来ているんだ」と憤りともつかない溜息をもらしています。
 いってみれば、世界に向かって一種の援助のポーズをとっているだけといえますね。それを“ジェスチャー外交”という人もいます。

「覚悟」とは何か
 私がいった「覚悟」とは、一つは援助が長引くこと、二つは半戦闘状態下での援助を実施できる体制整備です。問題は後者です。
 ドイツ方式だと、開発専門家たちを兵隊が守りながら開発事業を展開しています。日本はどうするんですか。開発専門家を自衛隊員が守るというドイツ方式を採用するのでしょうか。そこでは自衛隊員が自衛のために鉄砲は撃てるが、他の専門家の防衛のために鉄砲を撃てるのでしょうか。イラクの時のように仮に戦闘状態にない所で開発協力せよ、といっても、開発協力は開発ニーズのある所で仕事をしなければならないので、イラクの時のような自衛隊出動というわけにはいかないと思います。

憲法問題に踏み込めるか
 問題の根本には現行憲法があります。自衛隊が絡めば、いつも憲法解釈で紛糾します。ですから、「覚悟」とは、アフガン支援の問題が日本国憲法と深く関わっており、たとえば、憲法改正してでもアフガン支援する覚悟がありますか、を問うているわけです。
 援助がテロ対策の一環に組み込まれるならば、憲法問題にまでさかのぼる必要があるにもかかわらず、欧米に同調して紛争解決型援助に突入しようとする。欧米はその体制を整備しているのです。
日本には本当に主体性がない。援助動向を見ても、ただ世界の援助潮流に便乗しているだけで、自らの新しい理念、新しい方法を編み出す努力を怠っているとしかいいようがないですね。