ODA評価への苦情たらたら…国民への“説明責任”は大丈夫か

 新年度に入ると、あちこちから「ODA評価報告書」が送られてきます。外務省国際協力局からは「経済協力評価報告書」や「無償資金協力におけるプロジェクト・レベル事後評価報告書」。JICA(国際協力機構)からは「事業評価年次報告書」。
 評価の目的は、(1)評価結果をフィードバックして事業をより一層効果的、効率的に進める改善、改革を行うこと、(2)国民へのアカウンタビリティ(説明責任)を果たすこと。それは透明性を高める情報開示に徹することです。

情報開示型になっているか
 しかし、どの報告書を見ても、その構成、その内容(専門的なところに、さらに理屈っぽくしている)から、どう見ても国民へのアカウンタビリティなどは影も形もない。あえていうと、会計検査院へのアカウンタビリティを果たしているとしかいいようがない。もっというと、会計検査院も対応に苦労するのではないかと思います。
 科学的評価により厳正な結論を得たいという趣旨はよくわかりますが、文学でいうところの“純文学”が衰退して“大衆文学”が普及した経緯からもわかるように、“評価文学”も大衆化路線に踏み出してもらいたいものです。あまり複雑化すると、他人の立ち入るすき間をつくらないよう意図しているのではないかと邪推されないとも限りません。
 もし、真に国民へのアカウンタビリティを実現するならば、小冊子型の平易な報告書をつくるか、報告書自体の構成を変えて、ページを開いたら“顔の見える”物語的なレポートを読んでもらって、計量的な評価結果はアペンデックス(付属資料)として後半にもってくる、という工夫が必要ではないかと思います。とにかく、人びとに広く伝えようという熱意が感じられませんね。

事業改善、制度改革へのフィードバック
 評価結果を提言として次の事業にフィードバックすることでも、場合によっては事業のマネジメントにまで立ち入ってODA実施制度を改革するぐらいの覚悟がないと、いつまでたってもODA事業展開の改革にはつながらないのではないでしょうか。評価のフィードバックを真剣に実施するならば、政策立案レベルでは外務省国際協力局に、実施レベルではJICAトップマネジメントの理事室内に“システム改善室”を設けるべきでしょう。
 “評価ビジネス”という言葉が時々聞けますが、評価を単に商売にするだけでなく、評価者は国民の目線を背中に感じながら、評価事業に取り組んでほしいものです。
他方、外務省もJICAも税金(約12億円)を投入して評価するならば、ODAの有効性を高めるのだ、という責任感を高めてほしいものです。
評価も長い間のうちにマンネリズムに陥ることもありますから。